2月の声が聞こえると、途端にそわそわした空気が満ちてくる。 男子も女子もどこか落ち着かない。
今月最大のイベント。バレンタインデーのせいだ。
男子は本命の彼女に貰えるかどうか。女子は本命の彼に渡すかどうか。
お互い探りあいのような毎日が14日当日まで続く。
もちろん全員がその行事を楽しみにしている訳ではなく、それを困ったと思っている一部の人間にはただ単に迷惑な行事でしかなかった。
――――特に青学男子テニス部レギュラー陣は。
anninersary
「・・・皆さん、今年も凄そうですよ?」
部活終了後の部室で、そう言って笑顔で話しかけるのはマネージャーの。
楽しそうな、それでいてちょっと困ったような笑顔。
「・・・何がだ」
眉間にシワを寄せて見つめてくる部長の眼差しは鋭い。
沈着冷静。自分にも他人にも厳しく、すべての事に妥協などせず常に高みを見て努力を怠らない。
それでも必ずと言っていい程、私が必要としている時に言葉をかけてくれる。けして優しいだけの言葉じゃないけれど、自分を思っての一言が何よりも嬉しくっていつも心に響いた。
あまり面識がない人なら怖いと感じる眼鏡越しの射るような視線も、部長の硬いと言われるくらいの整った厳しい表情も、大好きな部長を形作る要素のひとつ。
そして、ほんの時々垣間見る事が出来る穏やかな優しい表情は――――本当に心臓に悪い。
「何がって・・・相変わらずですね部長。もうすぐバレンタインデーですよ?」
「・・・・・・・・・・」
更に眉間のシワを深くして黙り込んでしまった手塚の心中を察して思わず笑うと、同じように笑い声が聞こえてきてはその声の主を振り返った。
「?不二先輩?」
「あ、ゴメン。いや、ちゃんも相変わらずだと思ってね」
「?」
綺麗な笑顔。不二先輩はいつも穏やかな優しい笑みを浮かべていて、内心を読めない。
でもその笑顔の下には、怖いくらいの激情が隠されているのも知っている。
ひとたびその瞳が開かれ見つめられると、心臓が早鐘を打って身動きがとれなくなる。本当に吸い込まれそうな青い瞳。
時々驚く程の鋭さですべてを見透かす。いつも面白いように見透かされてはからかわれているから、一度は逆に見透かしてみたい―――その心の中を。
が頭に疑問符を浮かべていると急に後ろから誰かに抱きつかれ前につんのめる。そんな行動をするのはただ1人。顔を見るまでもなく誰か分かった。
「き、菊丸先輩、重いです〜〜〜」
「にゃはは〜!ホ〜〜ント、相変わらずだよにゃっ!」
「?だから何がですか?」
「ふにゃ〜〜〜!久し振り〜〜ちゃんの匂い〜〜〜!」
「え?あ、あの?」
そう言っての頭に頬擦りをする菊丸。
過剰ともいえる菊丸先輩のスキンシップにだいぶ慣れたとはいえ、まだドキドキする。
いつも猫みたいに身軽で華麗なアクロバティックプレイ。それはテニスだけに留まらず、言動、表情の変化が多彩で、見ていて飽きない。気まぐれな猫そのものみたいに思える事が何度もあった。
笑っている事が多い先輩の、時々見せる真剣な表情には、ドキッとして釘付けになった。
大きな猫目がよく動き、見ている私までつられてしまう太陽みたいな笑顔。その笑顔に本当に何度も助けられた・・・。
「英二先輩、オヤジ臭い」
「にゃんだとおチビ〜〜!あ、分かった!羨ましいんだろ〜〜!」
「・・・・・・・・別に」
そう言うと帽子を被りなおして横を向くリョーマ。その返事の間に『図星だったな』とを除く皆が思ったのは言うまでもなく。
「相変わらず可愛くにゃい〜〜!」
「英二先輩に可愛いって思われても嬉しくないっス」
自分を挟んでのやり取りを見ていて、は思わずクスッと笑った。
それに気付いた菊丸は、抱きついた腕を離す事なくそのまま上から覗きこむようにして訊ねた。
「にゃ?何が可笑しいのちゃん?」
「え、あ、こういうの久し振りだなぁって思って・・・」
この時期3年生はすでに引退している身。個人個人でたまに体を動かしに来るが、今日みたいに全員揃う事は滅多にない。
はつい嬉しくなって顔がほころんだ。
「・・・そんなに先輩達がいる方がいいっスか?」
「え?」
あまり私と変わらない身長。いつも被っているトレードマークの帽子の下から真っ直ぐ見つめてくる挑むような瞳。
生意気で、我侭で、それを指摘すると「年下扱いするな」って怒るくせに、たまに、まるでその年下を主張するかのように甘えてくる。
大きな目標に向かって突っ走っているのを知っているから―――それが少しでもリョーマ君にとって休める場所を提供している事になるのなら・・・ちょっと嬉しいかな。
「どうなんスか?」
「いや、えっと・・・そうじゃないって言ったら嘘になっちゃうし・・・でも―――」
「おいおい越前。の事困らせちゃーいけねーなぁ、いけねーよ」
どう答えたらいいか考えあぐねて俯いていたら、スッと出された助け舟。
「あ、桃君」
は思わずホッとして顔を上げる。
いつも元気で明るい笑顔。それでいてちょっとひとくせあるイタズラっぽい笑顔も桃君の魅力の1つだと思う。
先輩からは頼りにされ、後輩からは慕われて。本人曰く「これって人徳ってヤツだよな」なんて言っているけど、それを鼻にかけるような事は絶対ない。
熱血で単純。でもくせ者の異名を取るだけあって、何も考えてなさそうに見えて実は妙に冷静に周りを見ている時がある。私の何気ない言動も気が付いてくれて、声をかけてくれる。
そんな優しさが嬉しくてお礼を言っても、なんでお礼言うのか本当に分からないって顔をする。自分の事にはすごく鈍い・・・そんな所も桃君の魅力だけど。
「・・・桃先輩だって気になるくせに」
「お前ほど気にしてねーよ。・・・それに・・・」
桃城は少し声のトーンを落としてリョーマに話かけた。
「俺らにはまだこれからいくらでもチャンスはあるだろ?」
そう言ってニヤリと笑った桃城に答えたのはリョーマではなかった。
「『風吹けば桶屋が儲かる』か。チッ、気にいらねえな。少しはテメェで努力してみたらどうだ」
「薫君?・・・一体なんの話?」
「・・・・・・なんでもねぇ」
「?」
集団行動は苦手で、私達の話も聞いていないみたいだけど、いつもちゃんと聞いている。
見ていないところで人一倍努力して、それでもそれを努力とも思わず「これくらい当たり前だ」とぶっきらぼうに言う。
そんな姿を見られるのも嫌な薫君が、自主トレしている場所に時々差し入れを持って行っても何も言わないのは、照れているのと、口には出さないけれど感謝の気持ちからだって分かってる。
そんな無口で不器用だけど優しい所が好きだなんて言ったら・・・きっと真っ赤になって怒るよね。
「んだとマムシ!・・・ヘッ、それで俺が手に入れたって文句言うんじゃねーぞ!」
「テメェ!マムシって言うんじゃねぇ!!フン。やれるもんならやってみろ!」
「おぉ!やってやるよ!後で吠え面かくなよ!」
「テメェにゃまず無理だな」
「あぁ?やんのかコラ?!」
「ちょっとちょっと!なんで喧嘩になるのよ〜!」
話が妙な方向へ行き、雲行きが怪しくなってきた。
根本の原因がまさか自分にあると思っていないは、2人を見て「またか」と溜息をつきつつも、どうにか止めようとした。
「がそう言って止めに入っても、これまでの統計から見て桃城と海堂が喧嘩を止める確立8パーセント未満だ」
「・・・乾先輩・・・分析してないで止めて下さい」
はちょっと恨めしそうな顔で、30cm以上上にある乾の顔を見上げた。
いつもノート片手に何やら書き込んでいる乾先輩。眼鏡の奥に隠された瞳は見えないけれど、見えてもきっと先輩の内面までは見る事は出来ないだろうな。
眼鏡はずして下さいって言ったら「の事をもっと教えてくれるなら、いいよ」なんて言われてちょっとドキッとしたのは内緒。
データを集めて皆のサポートする一方で、影で努力を重ねて確実に自分を高めて行った先輩。
その頭脳から弾き出される確立は、テニスだけでなく人間観察にまで及んで、私なんか簡単に見抜かれてる。「計算するまでもない」なんて言われて悔しかった。先輩のデータの裏をかいてみたいけど・・・至難の技よね。
「そうか分かった。じゃあ、いつまでも止めないなら2人に今日出来たばかりの新作乾汁スペシャルグレイトハイパーリミックスエクストラ・バージョン8を試飲する権利をあげよう。バレンタインも近いという事でチョコレートも入ってるぞ。ココアバターに含まれる成分にはリラックス効果もあるから落ち着くにはちょうどいいだろう」
「「い゛っ!?」」
「さぁ遠慮するな」
チョコレートが入っているからかはたまた別のモノのせいなのか・・・どす黒い液体をズイッと目の前に出されて桃城と海堂は思いっきり後ずさった。
キラリと眼鏡を光らせながら乾は更に2人に詰めよる。
「それにしても『風吹けば桶屋が儲かる』とは、何かが起こった事によって第三者が得をするという例えだが・・・。どうやらお前達は俺達3年が卒業さえすれば後はどうにかなると思っているらしいな。よく分かったよ」
「い、いや!そう思ってるのは桃城のヤツで―――」
「んだよ!そういう例えしたって事はお前だって少なからずそう思ってんだろっ!」
「思ってねぇっ!!」
「まぁまぁ!2人ともそろそろ落ち着いて!」
またしてもヒートアップしそうな2人の間に、やんわりと止めに入ったのは河村だった。
「乾も、止めるどころか煽ってどうするんだよ?」
「ホントですよ。・・・絶対楽しんでますよね乾先輩・・・。ねぇ河村先輩?」
「う、うん。そ、そうだね。ハハハ」
普段は、目が合うだけですぐ真っ赤になるくらい、凄く気弱で優しい河村先輩。
人の気持ちに敏感で、いつも自分より周りの人を優先してとても大切にするから、もうちょっと自分も大切にして欲しいって思う。
ラケットを持ってコートに入ると本当に別人。パワフルかつアグレッシブなテニスで何度も驚かされた。
テニスはもうしないと言ってるのが残念だけど、お家のお寿司屋さんを継ぐという新たな目標に向かってすでに頑張っているから凄く尊敬する。
そう言ったらきっと「そんな事ないよ」ってまた照れながら笑うんだろうな。
「それは心外だな。あぁそうか、河村は自分が飲みたいからそういう事を言うんだな?」
「え、えぇ!?か、勘弁してくれよ・・・」
そんなこんなでやっと2人の喧嘩は治まった。もちろんその新作乾汁スペシャルグレイトハイパーリミックスエクストラ・バージョン8とかいうものの犠牲者も出る事なく、はホッとした。
と同時に、急に自分の背中の重みを認識した。スキンシップに慣らされたとはいえ、今まですっかり忘れていたのは、この温もりが離れがたいくらい心地よかったせいかもしれない。
しかしさすがに恥ずかしさが込みあげてきて、は菊丸の腕を解こうともがいた。
「き、菊丸先輩!いい加減離して下さい〜〜〜〜!」
「にゃっ?なんで〜!?今まで何も言わなかったじゃん!」
「わ、忘れてたんです〜〜!」
そう言って顔を赤くするを覗きこんで満面の笑みを浮かべた菊丸は、離すどころか更に腕に力を込めた。
「にゃはっ!それってさぁ、こうされてるのがちゃんにとって凄く自然な事にゃんだ!だから忘れてたんでしょ〜?へへっ!嬉しいにゃ〜〜!」
「え?あ、ち、違います〜〜!」
は「それが自然になっちゃったのは菊丸先輩のせいじゃないですか!」と思わず口にしそうになったが、そう言って肯定すればますます離してくれないのが分かっていたので、ただバタバタと暴れるしか出来なかった。
「コラ英二!!いい加減離れないか!が困ってるだろ?」
「あ、大石先輩〜〜!助けて下さい〜〜!」
ヒョイと菊丸の首根っこをまるで猫のように掴んで引き離す。いつもこんな調子で菊丸の腕の中でもがいているを救出してくれるのは大石だった。
ゴールデンペアとして菊丸先輩と一緒にプレイしてきただけあって、凄く息のあった2人。
時々喧嘩もするみたいだけど、長く続かないのはやっぱり仲がいいからだと思う。―――見ていて菊丸先輩に妬けるくらい。
優しくて頼りになって周りに常に気を配っている先輩。その優しさはあまりにも自然でさり気ないから、残念な事にそれに気付いてない人が多いと思う。
「無償の愛を与える事が出来るから、先輩は青学の母って言われてるんですね」そう言ったら目を丸くして、困った顔して照れていたっけ。
「むぅ〜〜〜。おーいしー!いっつもそうやって最後に美味しいとこどりしてさぁ〜〜!」
「お、美味しいとこどりって・・・」
から無理やり離されて口を尖らせて文句を言う菊丸に、大石は何やら赤い顔して言い訳をしていた。
その様子を笑って眺めながら、ふと突然思い出した疑問。
「あ、そうだ、不二先輩!結局『相変わらず』って何がですか?」
忘れてた!と両手をポンと鳴らして不二を見つめる。
「フフッ。気になるの?」
男の割にはしなやかな指を顎に添えながら穏やかに笑う。そんな仕草も様になっているのは不二だからこそだろう。
「もちろんです。だって話の途中だったらやっぱり気になるじゃないですか」
「そっか。うんじゃあヒント。ちゃん、部長は誰?」
「え?部長は誰―――って?・・・手塚部長じゃないですか」
部室内は一瞬静まり返ったが、すぐに笑いの渦に取って変わった。
「え?え?なんで笑うんですか??」
手塚は腕を組んで眉間のシワを深くして今まで様子を見ていたが、本気で戸惑っているを見かねて声をかけた。
「・・・。不二は今の部長は誰だと言ってるんだ。不二も、言うならもっとちゃんと言ってやれ。からかうのも程ほどにしろ」
「クスッ・・・手塚も本気だね?」
「・・・・・・・・・・何の話だ」
「とぼけなくてもいいよ」
「・・・・・・・・・・」
2人の間で何とも言えない視線が交わされていたが、は少し俯いて先程手塚に言われた事を考えていたので、それには気付いていなかった。
そしておもむろにハッと顔を上げて桃城を見つめた。
「そうだ!今は桃君が部長だった!!ゴ、ゴメンね桃君!」
本当に申し訳なさそうに謝るに苦笑しつつ桃城は頭をかいた。
「いや、いいっていいって!正直俺だって、未だに部長って呼ばれてもピンとこねーしよ」
「でも・・・・」
そう言ってもまだ気になるのか半ば泣きそうな顔で見つめられ、まるで自分が悪い事をしている気分になった桃城だったが、その一方での視線に体温が急上昇していた。
そして何やら思い付いたといわんばかりの笑顔になって言葉を継いだ。
「おっ!そんなに気になるなら、今日の帰り―――」
「桃城。そんな自覚のない事では困るな。グラウンド20周して来い」
「・・・っス。・・・・ついてねーよな、ついてねーよ・・・」
「・・・ケッ。馬鹿が」
「んだと!やんのかマムシ副部長っ!?」
「っ!テメェ!!」
「2人とも行って来いっ!!」
「「・・・・・っス」」
そんな様子を見てつい笑ってしまったの隣に、いつの間にか並んで立っていた不二が声をかけた。
「ちゃん。今年もちゃんから貰えるって期待していいのかな?」
「え?何をですか?」
「にゃはっ!さっき自分で言ってもう忘れてるにゃ〜」
「?」
「らしいな」
「??」
「がバレンタインデーにチョコを渡す確立100パーセント。ちなみに9個は確実だ」
そう言われてはっとし、は思わず部室にいるメンバーを見回し苦笑した。
「・・・皆さん、あんなに沢山貰うのにまだ欲しいんですか?」
毎年レギュラー陣は半端じゃないくらいの数を貰っている。なのになんで欲しいのかと不思議でしようがなかった。
まぁその中に1つくらい増えた所で何も変わりがないのかもしれないが。
がそんな風に考えていたのをまたしても見透かしたのか、不二が目を開いて笑顔で告げた。
「ちゃんだから、欲しいんだけどな」
「そうそう〜〜♪」
そう言って笑顔を見せる2人。他のメンバーを見回しても、それぞれ賛同の意を示していた。
「ありがとうございます。受け取って貰えるのなら喜んで!」
はちょっと頬を染めて、嬉しそうに笑った。そして改めて視線を向けた。
そこにはなに1つ変わらない顔。
日常茶飯事だったこんなやり取りも、厳しい掛け声も、見慣れた笑顔も―――もうすぐ終わってしまう。3年生は高校を卒業すると皆それぞれの道に進んで行く。バラバラになってしまう。
急に寂しくなったは思わずそっと溜息をついた。
今最高の仲間達が集まっている。その仲間に入れただけで本当に幸せだと思っていた。でもそれだけで終わらせたくない気持ちがあるのも事実で。
このまま終わらせて後悔しないだろうか。そう自分に問いかけてみた。
ずるいかもしれない―――みんな全力で一緒に闘ってきた仲間。その仲間にきちんと向きあわないで終わらせてしまうのは。
逃げているだけかもしれない―――結果を予測してダメだった時、仲間にさえ戻れないと勝手に怯えて。
(――――そんな訳ない。どう転んでも今までどおりで・・・いられるよ・・・ね?きっと・・・)
願うような気持ちでは見つめていた。
今までずっと共に過ごしてきた仲間達を。そしてずっとずっと大好きだったたった1人を―――。
その視線の先には・・・・・・
手塚 大石 不二 菊丸 乾 河村 桃城 海堂 越前