手塚は朝から頭を抱えていた。・・・周りからはそうは見えなかったが。
毎年のこととはいえ、今年は凄い。過去最高ではないだろうか。
どうやって入れたのかと思うくらいに見事に隙間なくぎっしりと詰め込まれたそれらを見て、思わず下駄箱の前に立ちつくして溜息をつく。
眉間のシワが深くなったのが自分でも分かったくらいだった。

これらをどうしようかと考えていた時、特徴ある笑い声が耳に入り、確認するまでもなく笑顔であろう人物を振り返るのと声をかけられるのはほぼ同時だった。

「おはよう手塚。フフッ、凄いね」
「・・・不二。お前も人の事は言えないだろう?」

手塚は不二が持っているカバンにチラリと目をやった。すでに溢れんばかりのチョコの数々。
学校へ来るまでにこんな調子なら、自分より凄い事になるのは想像するに難しくない。

「まあね。今年は僕ら卒業だし、駆け込みが多いんじゃない?」
「・・・・・・寺じゃあるまいし、何の駆け込みだ」
「クスッ。手塚らしい感想だね」

顎に手を当ててクスクス笑っている不二を見て「自分こそ相変わらず読めない笑顔だな」と思ったが、そんな事を口にすると倍になって返って来るのは嫌というほど分かっていたので、そう思うだけに留め、視線を再び下駄箱に戻した時「あ、そうそう」とまた声をかけられた。

「部室に行った方がいいかもね。確かちゃんが昨日のうちに持ち帰り用の紙袋用意してくれてると思うから」
「・・・そうか。分かったそうしよう」

(・・・1番相変わらずなのは、アイツではないだろうか・・・)

そんな事を考えながら部室に向かって歩き出し、ふと浮かんだ笑顔にさっきまで少しイラついていた心が和んだ。
手塚は自分では気付いていないが、の事を考えている時、傍目に見ても分かるほど柔らかい雰囲気になる。
側に不二がいる事を失念して、すっかり自分の思いの迷路に入り込んでいた。
不二は青い瞳でちらりと手塚を見たが、それ以上声もかけず、ただ同じ歩調で同じように部室に向かって歩いていた。










anniversary 〜K.Teduka 前編










マネージャーの仕事は楽ではない。ほとんど雑用ばかりだし、周りを見て先回りして動かなければ成り立たない場合もある。
しかし、いつもどんな時でも愚痴1つ言わず、小さい身体で一生懸命にこなしている。
その姿が見えないと無意識のうちに目で探すようになったのは―――いつからだったろう。
笑顔で渡されるタオルを受け取るたびに、向けられている笑顔が眩しくて目をそらすようになったのは―――いつからだったろう。

自分にとっても、そしてレギュラー陣にとっても、は特別な存在で。
自分達もまたにとって特別であると自負していて。
でもその中で、1番特別でありたいと願ってしまった自分。今のままで満足できない自分。

(・・・・・・欲張りだろうか俺は。・・・しかし・・・)

譲れない思い。テニス以外でこれほど強く執着した事はあっただろうか。

「手塚。心残りのないようにしようね・・・お互いに」

そのまま更に考え込みそうになった手塚の内心を読んだかの様なタイミングでそう声をかけた不二は、真っ直ぐ前を見つめ、すっと歩調を速めて辿り着いた部室に先に入って行った。
その場に立ち止まって後姿を見送った手塚は、深呼吸を1つしてそっとつぶやいた。

「・・・・・・そうだな」

その返事は不二に向けられたものなのか、自分に言い聞かせたものなのか・・・。手塚自身にも分からなかった。






後を追うように部室のドアをくぐると、見慣れた顔ぶれがすでに揃っていて、それぞれ挨拶の声をかけてくる。同じように返しながら、しかし、今1番見たかった笑顔が見当たらず、探して視線がさまよったが、それはほんの一瞬の事。
手塚は、何もなかったかのように冷静に振舞う自分と、それでもその笑顔の所在を確かめずにはいられない自分に内心苦笑しつつ、部長である桃城に訊ねた。

「・・・は、まだ来ていないのか?」

桃城は大きな右手で頭を掻きながら、今日何度目になるか分からない質問に苦笑いを浮かべながら答えた。

「アイツ、今日は休みみたいっス。さっきおばさ・・・竜崎先生からそう言われました」
「休み・・・風邪か?」
「そうみたいっスね。今うちのクラスでも流行ってますから・・・」
「・・・そうか」

卒業間近のバレンタインデー。
去年もから受け取ったが、今年は最後になるかも知れない。
今までと同じようにただ受け取るだけに終わらせたくないと思っていただけに、肩透かしを食らったようで何ともいえない気分のまま「手塚。これだろ?」と大石から渡された紙袋を無意識に受け取り、そのまま無言で眺めていた。
そんな手塚の微妙な変化も付き合いの長さゆえに見て取れた大石は、苦笑しつつ声をかけた。

「手塚・・・」
「・・・なんだ?」
「残念か?」
「大石、お前・・・」
「ハハッ、悪い悪い。でもそう思ってるのは手塚だけじゃないさ」

そう言って笑うとチラリと視線で促した。
手塚は促されるままその視線を追うと、あからさまに落ち込んでいる1人とそれを囲むメンバーが目に止まり、それと同時に会話も耳に届いた。



「うにゃ〜〜・・・ガッカリだにゃあ・・・ちゃんから貰えないなんて〜〜〜」
「英二、しょうがないじゃない。風邪なんだから」
「でもさぁ〜〜〜〜。今年こそちゃんにハッキリと確認しようと思ってたのに・・・」
「英二先輩、また抜け駆け?」
「ま、またってにゃんだよっ!それにおチビだってそのつもりだったんだろ〜!?」
「・・・別に。先輩達みたいに焦ってないし」
「う゛ぅ〜〜〜!生意気だにゃっ!!」
「英二先輩!越前が生意気なのは今に始まった事じゃないっスよ?!」
「・・・桃・・・お前もなんだか余裕だにゃ・・・」
「そ、そんな事ないっスよっ!」
「・・・・・・馬鹿が」
「んだとっ!」
「フン」
「いいよなお前らはっ!・・・俺達はもうすぐ卒業だもんにゃ・・・」
「そうだな。それに今日を最後に3年生は自由登校。卒業式までは用がない限り学校には来なくてもいい。そうなるとに会える確率は―――」
「う゛に゛ゃっ!そんな事言うなよぉ〜〜〜〜!」
「い、乾。何も今英二にそんな話言わなくても・・・」
「タカさん。事実から目を背けていては、人間成長はしない」
「そ、そうかも知れないけどさ・・・」
「フフッ、大丈夫だよタカさん。英二の事だから何かと用事を作っては学校に来るって。ちゃんに会いに・・・ね?」
「(・・・・・ばれてるにゃっ!)」



それぞれ自分なりの表現をしているが、残念がっているのはハッキリと伝わってくる。手塚は視線を大石に戻して穏やかに言った。

「・・・そうだな。すまない」
「おぃおぃ、謝ってもらおうなんて思ってないさ。それにの事だから、風邪が治ったら絶対に何らかの形で持ってくるだろうしな」

皆が勝手に楽しみに待っているだけなのに、その期待に答えられなかったと言って、小さい身体を更に小さくして謝りながら皆に手渡す姿が容易に想像でき、手塚は苦笑しつつ溜息をついた。

「無理だけはして欲しくないんだけどね」

手塚が思っても口に出さなかったその言葉を、すんなりと自然に口にした大石は、とても優しい顔をしていた。
そうやっていつも誰かの心配ばかりしている大石だが、きっと1番気にかけているのは他でもないの事だろう。それは手塚にも分かっていた。



大石に限らずは皆に想われている。
が誰かと付き合うとしたら、このメンバーの中の誰かだという確立99パーセント」と乾が予想していたのをふと思い出す。
運命の巡りあわせで出会った最高の仲間兼ライバル達を見回して、が誰を選んでもきっと後悔はないだろうと思った。
だが、テニス同様負けるつもりはないのは、きっと自分だけではないだろう。と、ひと癖もふた癖もある仲間達をもう一度見つめ、ただ後悔のない様に行動を起こさなければ・・・と、新たに決意した手塚だった。












「・・・38度5分・・・かぁ・・・」

は1人ベットで寝ていた。
朝いつものように起きようと思ったら、やたら寒くて震えて起きあがる事が出来なかった。
なかなか起きてこないので様子を見に来た母親に熱があると言われ、計ったら39度もあって自分でも驚いた。
もちろん休むように言われ、行ったところで皆にうつすだけだと、は泣く泣く断念した。

「よりによってこんな日に熱でなくてもいいじゃない・・・私のバカ」

2月14日。バレンタインデー。
ほとんどお菓子会社の陰謀とは言え、そういうパワーを借りて勇気を出すのは悪い事じゃないと思う。
あれだけいい男揃いのレギュラー陣に囲まれて、普通の女の子なら倒れてしまうような羨ましいくらいの環境にいながらマネージャーの仕事をしていて、すっかり慣れたつもりでいた。
このままずっといい仲間としての関係でいられるならと何度も思ったが、それだけで終わらせるにはこの想いは強すぎた。
やはり自分も普通の女の子なんだなと、は思った。

(こんな日でもなきゃ・・・言えないのに・・・)

情けなさで溢れてきた涙が枕を濡らす。
このまま終わってしまうのか。終わらせられるのか・・・。チョコを渡すのはいつでも出来る。
だけど気持ちを奮い立たせる事が出来る魔法は・・・今日をおいてなかった。

「・・・・・・よしっ!」

重い頭を起こしてベットを何とか抜け出すと、そっと階下の様子を伺う。母親は仕事に出かけてまだ帰って来ていないようで誰の気配もなかった。

(・・・すぐ帰ってくれば大丈夫よね・・・)

ふらつきながら制服に着替え、いつもより厚手のコートを着こんで首にマフラーを巻き、出かける準備をした。
どんなに熱があってぼんやりしていても、昨日から用意してあった肝心の物を持つ事はもちろん忘れないでいた。






階段から落ちそうになる事2回。立ち止まって休む事十数回。
フラフラして車道に飛び出しそうになり、通り過ぎる車に派手にクラクションを鳴らされる事3回。
それでも無事学校まで辿り着けたのは、のただ1つの想いがなした技かもしれない。

欠席になっている人間が堂々と教室まで行くのは無理があるし、かといって教室に行ってそのまま授業を受けられるとはとても思えなかったの行き先は限られていた。

(部室しか・・・ダメよね)

思い切って校舎内に入れば図書室とか人気のない場所もあるのだが、その前に先生に見つかってしまう可能性があった。
ここまで来て渡せずに追い返されるのは辛い。は安全策を取る事にした。

時間はお昼休みに入ろうかという頃で、校舎から生徒達のざわめきが耳に届いた。
本来なら鍵が開いていない所だが、マネージャーであるはもちろん鍵を持っていた。
見つからないうちに・・・と、おぼつかない手の動きに自分でもイライラしつつ、急げる範囲で急いで鍵を開けると、部室に滑り込むように入った。

はやっとホッと一息入れたが、まさかその姿を見られていたとはその時思ってもいなかった。










休み時間毎のチョコレート攻撃にうんざりしていた手塚は、1番ピークに達するであろう昼休みが始まるチャイムが鳴ると、一目散に生徒会室に逃げ込んだ。
もうすでに新しい会長に引き継ぎも終わっているので、これ以上出入りするのは新メンバーにはやりにくい事が分かっていたので、顔を出さないようにと気をつけていたが、それでも今日などは新会長が気を使って「どうぞ使ってください」と生徒会室の鍵を手塚に渡したくらいだった。

やっと一人になれた。と、肩の力を抜いて腹の底から思い切り息を吐き出すと、窓辺に寄って外を眺めた。
差し込む光は2月にしては暖かく、猫がひなたで丸くなってじっとしている気持ちがなんとなく分かるようだった。
雲ひとつない青空を見上げて、想うはたった1人の大切な人。

(・・・・・・今頃寝ているのか?熱はどのくらいあるのだろう)

自分がこんな風に特定の誰かの事を考え心配をするのが少し信じられなくて、思わず苦笑する。
そしてふと視線を下に向けた時、見慣れた後姿が部室棟の方に歩いて行くのが確かに見えた。

(?!・・・・・?・・・何故・・・)

―――何故。それは愚問だった。
彼女の事だから、レギュラー陣と交わした約束を気にして、風邪をおしてでもその約束を守ろうとするだろう・・・と乾でなくても簡単に推測出来る。

(・・・まったく・・・)

先程までのうんざりしたものとは違って、多くの心配と少しの嬉しさがブレンドされた溜息をついた手塚は、くるりと踵をかえすと、この部屋に来た時以上のスピードで部室へと走り出してた。