(・・・確かに今年は凄い事になりそうだね・・・)

この前がそう言ってたのを改めて思い出し苦笑する。

学校までの道程で一体何人に待ち伏せされた事だろう。今の時点でもうすでに去年を上回りそうな勢いだった。
告白と共に差し出される場合は、なるべく傷付けないようにと配慮しつつ柔らかな笑顔と口調で断っているのだが、「受け取ってくれるだけでいい」と、半ば押し付けるようにして去っていく子が大多数で、名前も顔も知らない子達からのチョコで不二のカバンはすでに溢れそうだった。

(この分だと、学校へ行ったら無事じゃすまないかな?)

そんな事を考えながらやっと辿り着いた校門をくぐり、正面玄関に向かう。
引退してから朝がゆっくりになったとは言え、それでも習慣になっているらしく、普通の生徒が登校するにはまだかなり早い。
玄関先で見慣れた後姿が目に入り「習慣になって抜けてないのは僕だけじゃないか」と、何処にいても目立つスッと伸びた背中を見つめて思った。

(そう言えば「その背中、針金でも入っているんじゃない?」って聞いた時、もの凄く眉間のシワが深くなったっけ・・・フフフッ)

などと思い出しながら歩を進め、少しずつ距離が近くなる。
その人物はさっきからピクリとも動かずに下駄箱の前に佇んでいる。
理由は簡単に推測できたが、果たしてどんなものかと下駄箱に目をやると、見事に詰め込まれたチョコの数々。
顔を見なくても、さっき思い出した同じ表情をしているであろうと、不二は思わずクスッと笑いながら声をかけた。










anniversary 〜S.Fuji 前編










「おはよう手塚。フフッ、凄いね」

声をかけるのとほぼ同時に振り返った顔はやはり不機嫌そうで、思った通り眉間に寄っているシワは深かった。

「・・・不二。お前も人の事は言えないだろう?」
「まあね。今年は僕ら卒業だし、駆け込みが多いんじゃない?」
「・・・・・・寺じゃあるまいし、何の駆け込みだ」
「クスッ。手塚らしい感想だね」

不二がいつものように顎に手を当ててクスクス笑っていると、手塚がほんの一瞬何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わずにまた下駄箱に向き直った。
面識のない人ならこれほど感情を読みにくい人はいないと思うだろうが、知れば知るほど手塚ほど微妙な感情の変化が顔に表れる人はいない。
手塚の思う事など不二には簡単に読めたが、それには一切ふれずに別の話をふった。

「あ、そうそう。部室に行った方がいいかもね。確かちゃんが昨日のうちに持ち帰り用の紙袋用意してくれてると思うから」
「・・・そうか。分かったそうしよう」

そう答えた手塚と2人並んで部室に向かう。
目立つ事この上ない2人だったが、今は遠巻きに視線を感じるだけだった。
隣の手塚をちらりと見ると、先程までのぎすぎすした雰囲気とうって変わって柔らかいものになったのが分かった。

(ホント、分かりやすいよね手塚は)

不二はそんな手塚が少し羨ましいと思っていた。
そう思うのはきっと、いつも笑ってる自分が「何を考えているか分からない」と言われる事が多いから。
別にどうでもいい人にそう思われるのは一向に構わなかった。世界中のすべての人に理解してもらおうなど所詮無理な話だ。
レギュラー陣は付き合いの長さゆえよく分かってくれている。仲間として過ごしてきた時間はダテではない。彼らがいてくれる限り、自分は自分でいられるだろうと不二は思う。
ただ―――

(ただ彼女は―――本当に分かってくれているだろうか。こんな僕を―――)

マネージャーの仕事は楽ではない。ほとんど雑用ばかりだし、周りを見て先回りして動かなければ成り立たない場合もある。
それでもいつも疲れた顔1つ見せず、眩しい、柔らかな笑顔を見せて、一生懸命仕事をこなしている。白魚のような手だったのに、マネージャーを始めてから手荒れが酷く、特にこの季節は赤切れが痛々しい。
不二はいつかの会話をふと思い出していた。








「綺麗な手だったのに・・・・・・ごめんね僕らのせいで」

そう言って手を握った時、は頬を染めながらも本当にきょとんとして、不思議そうな顔をした。

「え?なんで不二先輩が謝るんですか?不二先輩のせいじゃないですよ?・・・・・・それに、私この手好きなんです」

思いがけない答えが返って来て不二は内心驚いた。年頃の女の子なら気になるであろう手荒れ。それが好きだと言う彼女。

「どうして?」

そう訊ねずにはいられなくて、その返事を聞いた時のあの気持ちは・・・今でも忘れていない。

「・・・だって、大好きな皆さんの為に頑張ったって言う証拠ですから!勲章ですよ!」

はそう答えて、本当に嬉しそうに、幸せそうに笑った。不二の心臓は早鐘を打った。
グッと込みあげてくる嬉しさ。愛おしさ。それと同時にそんな風に表面的にしか見ていなかった自分の情けなさ。
色々な感情が渦を巻いていたが、それらを抑えるのが大変だったのには気付いていない。
・・・不二はずっと笑顔だったから。








仕事で荒れた手を好きだと言って、笑った時の本当に綺麗な笑顔。
その笑顔で何度救われただろう。
その笑顔を自分だけに向けて欲しいと何度思っただろう。
その笑顔を自分だけのものにしたいと何度思っただろう。
その笑顔を誰の目にも触れさせたくなくて、いっその事さらってどこかに閉じ込めてしまいたいと何度思っただろう。

―――そんな自分を。

「大好きな皆さん」に自分が含まれている事はよく分かっている。
しかし、皆というひとくくりの関係から一歩抜け出して自分だけを大好きだと言って欲しい。
もしそれが叶わないなら・・・いっその事何もかもすべて壊してしまいたい。
そんな狂気にも似た想いをずっと抱いている。


―――そんな自分を。






(こんな僕を分かってくれるのは・・・・・・彼女だけでいい・・・でも・・・)

そう思っていても、こんな自分を知った時の彼女の反応が怖かった。
誰に嫌われても何とも思わなかったのに、彼女にだけは嫌われたくない・・・。

(・・・臆病だね、僕は)

それでも不二は軽く息を吐き出すと、意を決したように真っ直ぐに前を見つめ、自分と同じように、さっきからの事を考えているであろう手塚に声をかけた。

「手塚。心残りのないようにしようね・・・お互いに」

手塚は本気だ。手塚に限らず皆が本気なのは分かっている。
テニスでは手塚に最後まで勝つ事が出来なかったが、この勝負不二は負けるつもりは微塵もなかった。
最高のライバル達。その中でも一番の強敵であろう彼に、心からのエールを送って足を速めた。

不二の耳には届かなかったが、手塚はきっと何か答えただろう。返事は聞くまでもなく分かっていた。






部室のドアをくぐって挨拶を交わしつつも、真っ先に目で探すのはの姿。これも習慣のひとつになっていた。
しかしいつもすぐに目に留まるはずの彼女の姿はなかった。

「桃、ちゃんは?」
「あ、不二先輩。アイツなら風邪引いて休みらしいっス」
「・・・休み?・・・・・・そう」

思いがけずあっさりと引き下がった不二に少々疑惑の視線を向けつつも、桃城はその場を離れた。

(休みか・・・さて、どうしようかな?)

お見舞いがてら家へ行ってもいい。・・・だが・・・。

ちゃんの事だから、感じなくてもいい責任を感じて・・・学校に来るだろうね)

彼女の生真面目な性格をきちんと把握している不二の頭の中では、乾とはまた違った観点から得たの行動パターンでそう見透かしていた。

(風邪引いてるのなら部室は寒いしね・・・うん、きっとあそこだね)

そう考えていた時、不二の隣であからさまに落ち込んでいる人物が、あからさまな声をあげた。

「うにゃ〜〜・・・ガッカリだにゃあ・・・ちゃんから貰えないなんて〜〜〜」
「英二、しょうがないじゃない。風邪なんだから」

菊丸はいつでもストレートだ。表情だけでなく身体全体でそう言っている。
そんな菊丸を宥めつつも、そこに揃っているメンバーの様子をしっかり伺う事も忘れない不二だった。
ふと誰かの視線を感じ顔を上げると、先輩を先輩と思っていない、不敵で油断のならない一年生と目があった。

(越前も皆を観察中かな?フフッ、変な所似てるよね?)

そんな事を考えながら、いつもの笑顔で、相手を牽制する事も忘れず余裕をプラスしてニッコリ笑うと、似た者扱いされた事まではさすがに分からなかっただろうが、リョーマは実に不本意そうな顔をして、帽子を直しつつ視線をそらした。

「でもさぁ〜〜〜〜。今年こそちゃんにハッキリと確認しようと思ってたのに・・・」
「英二先輩、また抜け駆け?」

(・・・ふーん。また・・・ね?)

不二は一瞬目を細めて菊丸を見つめた。それに気付いた菊丸が慌てたように首を振ってリョーマを睨む。

「ま、またってにゃんだよっ!それにおチビだってそのつもりだったんだろ〜!?」
「・・・別に。先輩達みたいに焦ってないし」
「う゛う〜〜〜!生意気だにゃっ!!」
「英二先輩!越前が生意気なのは今に始まった事じゃないっスよ?!」
「・・・桃・・・お前もなんだか余裕だにゃ・・・」
「そ、そんな事ないっスよっ!」
「・・・・・・馬鹿が」
「んだとっ!」
「フン」
「いいよなお前らはっ!・・・俺達はもうすぐ卒業だもんにゃ・・・」

なんだかんだと言い争いになるのはいつもの事。
が休みなのは確かに残念に思っているようだが、それでも菊丸の言うように、リョーマや桃城、海堂は、これからのと一緒に過ごせる時間を考えてか、まだどこか余裕のある表情だった。

「そうだな。それに今日を最後に3年生は自由登校。卒業式までは用がない限り学校には来なくてもいい。そうなるとに会える確率は―――」

乾のデータは健在。
特にに関してはテニス以上にデータ収集しているともっぱらの噂であった。

(フフッ。手塚とは違う意味で、強敵だよねやっぱり)

忘れたかった現実に向き合わされて菊丸はますます情けない声をあげた。

「う゛に゛ゃっ!そんな事言うなよぉ〜〜〜〜!」
「い、乾。何も今英二にそんな話言わなくても・・・」
「タカさん。事実から目を背けていては、人間成長はしない」
「そ、そうかも知れないけどさ・・・」
「フフッ、大丈夫だよタカさん。英二の事だから何かと用事を作っては学校に来るって。ちゃんに会いに・・・ね?」

そうにっこり笑って菊丸を見ると簡単に動揺が見てとれる。

「(・・・・・ばれてるにゃっ!)」

まぁ菊丸の場合、不二でなくてもそう考えているのがバレバレであったが。
そんなやり取りを少しはなれた所で見ていた手塚と大石に気が付いた不二は、内心で苦笑した。
特に今見せている大石の優しい表情に。

(―――ううん。ここにいるメンバー全員、気が抜けないや)

レギュラー陣の中で、手塚・大石・河村・海堂はそれほど積極的ではない。
でも普段のさり気ない気配りや優しさの中にへの想いは溢れていて、侮れない存在であった。

運命の巡りあわせで出会った最高の仲間兼ライバル達を見回して、が誰を選んでもきっと後悔はないだろうと思った。
だが、テニス同様負けるつもりはないのは、きっと自分だけではないだろう。と、ひと癖もふた癖もある仲間達をもう一度見つめ、ただ後悔のない様に行動を起こさなければ・・・と、新たに決意した不二だった。












「・・・38度5分・・・かぁ・・・」

は1人ベットで寝ていた。
朝いつものように起きようと思ったら、やたら寒くて震えて起きあがる事が出来なかった。
なかなか起きてこないので様子を見に来た母親に熱があると言われ、計ったら39度もあって自分でも驚いた。
もちろん休むように言われ、行ったところで皆にうつすだけだと、は泣く泣く断念した。

「よりによってこんな日に熱でなくてもいいじゃない・・・私のバカ」

2月14日。バレンタインデー。
ほとんどお菓子会社の陰謀とは言え、そういうパワーを借りて勇気を出すのは悪い事じゃないと思う。
あれだけいい男揃いのレギュラー陣に囲まれて、普通の女の子なら倒れてしまうような羨ましいくらいの環境にいながらマネージャーの仕事をしていて、すっかり慣れたつもりでいた。
このままずっといい仲間としての関係でいられるならと何度も思ったが、それだけで終わらせるにはこの想いは強すぎた。
やはり自分も普通の女の子なんだなと、は思った。

(こんな日でもなきゃ・・・言えないのに・・・)

情けなさで溢れてきた涙が枕を濡らす。
このまま終わってしまうのか。終わらせられるのか・・・。チョコを渡すのはいつでも出来る。
だけど気持ちを奮い立たせる事が出来る魔法は・・・今日をおいてなかった。

「・・・・・・よしっ!」

重い頭を起こしてベットを何とか抜け出すと、そっと階下の様子を伺う。母親は仕事に出かけてまだ帰って来ていないようで誰の気配もなかった。

(・・・すぐ帰ってくれば大丈夫よね・・・)

ふらつきながら制服に着替え、いつもより厚手のコートを着こんで首にマフラーを巻き、出かける準備をした。
どんなに熱があってぼんやりしていても、昨日から用意してあった肝心の物を持つ事はもちろん忘れないでいた。




階段から落ちそうになる事2回。立ち止まって休む事十数回。
フラフラして車道に飛び出しそうになり通り過ぎる車に派手にクラクションを鳴らされる事3回。
それでも無事学校まで辿り着けたのは、のただ1つの想いがなした技かもしれない。

欠席になっている人間が堂々と教室まで行くのは無理があるし、かといって教室に行ってそのまま授業を受けられるとはとても思えなかったの行き先は限られていた。
思い切って校舎内に入れば図書室とか人気のない場所もあるのだが、その前に先生に見つかってしまう可能性があった。

(どうしよう・・・部室が1番いいかも知れないけど・・・寒いからなぁ・・・)

時間はお昼休みに入ろうかという頃で、校舎から生徒達のざわめきが耳に届いた。
その生徒達に紛れてしまえば逆に目立たないかも知れない。しかし、正面玄関から堂々と入るのはさすがにマズイと思い、非常階段のある昇降口へと出来る限り急いだ。
その昇降口は目的地に1番近かった。

非常階段で何人かとすれ違ったが、別段知っている顔も見られず、不審がられる事もなく、そのまま校舎に入る事が出来た。

はやっとホッと一息入れたが、まだ目的地に辿り着いていない。少しでも気が緩んだら倒れそうになる。もう一度自分に気合を入れ直し、先を急いだ。
自分を見つめる視線に気付かずに。












窓際の席は日が差し込んで暖かい。時には隙間風も入ってくるが、日差しがある分、廊下側の席に比べるとはるかに天国だろう。ただ気を抜くと眠くなるが。
そんな環境のいい窓際のしかも1番後ろの席に座っている不二が、お昼休み開始のチャイムがなるほんの少し前、外を見て少し困った顔で笑っていた。

「ふにゃ〜〜ぁ・・・どったの不二?」

それに気付いた隣の席の菊丸が、あくびを噛み殺しつつ小声で声をかける。

「ううん。なんでもないよ」
「そっ?ま、いいや。・・・あ〜あ・・・ちゃ〜〜ん」

朝からずっとこの調子の菊丸は机に突っ伏してしまった。手塚、不二に負けずとも劣らずそれはもう大量のチョコを貰っていたが、やはり告白に対してはきちんと断っていた。これはレギュラー陣は皆そうであったが。

「・・・ねぇ英二・・・1つ聞いてもいい?」
「ん〜〜?にゃに?」
ちゃんに貰えるなら義理でもいい?」

突然何言い出すんだと、手塚張りに眉間にシワを寄せて怪訝な顔をして、菊丸はマジマジと不二を見つめた。

「何言ってんだよ?そりゃあちゃんからなら義理でも貰えないよりいいけど、でも絶対絶対本命がいいに決まってんじゃん!」
「・・・そうだよね」
「・・・変な不二」

そう言って視線を逸らし、また机に顔を埋めた。
不二はそんな菊丸をチラリと見てから、窓の外の先程見かけた後姿が消えた先をただ見つめていた。
それは間違いなく彼女。そして行き先の見当も付いている。
自分から行動を起こすのに何のためらいもなかったが、もし、もし自分へのチョコが義理だったら。

(・・・その時僕はどうなってしまうだろう)

テニスでは、強力なライバル達に追いつかれそうになる緊張感すらスリルと感じて、どこか楽しむ自分がいた。
恋愛に対してもそうだ。一筋縄ではいかない曲者揃いの彼らをどうやって出し抜くか等、そういうゲームのような駆け引きを楽しむ感覚にどこかワクワクしていた。なのに―――。

(なのに何故こんなに臆病になったのだろう・・・ちゃんに対してだけ)

不二が更に考え込みそうになった時、授業終了兼お昼休みの始まりの合図が鳴った。
ハッと意識を引き戻され、とにかくこの気持ちにケリをつけに行こうと立ち上がった。

「不二!また後で〜!」
「うん、気を付けてね」
「へへへのかっぱ〜!」

菊丸は颯爽と教室を飛び出して行った。ぼやぼやしていたらまた身動きが出来ないくらいのチョコレート攻撃にあうのが分かっている。
不二もすかさず教室を出て、彼女がいるであろう場所に向かって走り出した。

今の自分のどんな疑問に対しても答え差し出してくれるであろう、ただ1人の元へ・・・