「おはようございます〜!」
「あぁ。おはよう。相変わらず早いな」
「でもやっぱり大石先輩には負けますよ」

笑顔で会話が繰り広げられる。大石の背後の手塚に気付くと、今までの表情を急に改め、姿勢まで正す。

「おはようございます手塚部長!」










好きにならずにいられない  〜前編










「あぁ、おはよう」

手塚は最近、彼女、男子テニス部の紅一点、マネージャーであるの態度が気になっていた。
自分に対する時だけ、妙によそよそしい。

(・・・以前からそうだっただろうか)

他のレギュラー陣とは普通に笑いながら会話をしている。しかし手塚に対してだけは不自然なまでに笑顔を見せない
今までの会話を思い出してみても、確かに手塚とは笑って話すような内容の話はしていない。部長とマネージャーという関係の為、他の誰よりも話をする事は多かったが、練習メニューや、部費の運営についてなど、堅苦しい事ばかりだった。

(・・・そのせいか?・・・それにしても・・・)

レギュラージャージに袖を通しながらもずっとそんな事を考えて立ちすくんでいた手塚。大石に話しかけられなかったら朝練が始まるまでそのままだったかもしれない。

「手塚・・・どうした?最近ちょっとおかしいぞ?」
「・・・・・・・・」

コートに出てから大石にそう訊ねられたが手塚は黙って前を見ていた。ふと大石はその手塚の視線を辿ってみた。
その視線の先には、テニスボールがいっぱい詰まったカゴを持って、フラフラと歩く

「・・・がどうかしたのか?」
「・・・いや・・・」

それきり黙ったままの手塚に「ひょっとして・・・」という考えが浮かんだが、今ここで問いただしたところで明確な返事は返ってこないだろうという事を、大石は長い付き合いで分かっていた。






朝練はメニュー通り進んで行き、まもなく終わろうかという時、手塚の目の前で、の背中に抱きつく菊丸の姿があった。
もそれに慣れっこになっているらしく、抵抗もせず嫌がってもいない。それどころか楽しそうに抱きつかれるがままにしている。
もちろん手塚も、菊丸の誰彼構わず抱きつく癖は良く知っているし、今までに何度もそんな光景を目撃してきた。それにそうなった菊丸をさりげなく引き剥がすのは大石の役だったから、別段咎めたりする事もなかった・・・のだが、

「菊丸っ!グラウンド10周!」

思わず口をついて出たそのセリフに、何よりも驚いたのは他でもない手塚本人だった。その場にいた全員の視線が集中する。

(―――――俺は一体・・・)

「にゃんだよ手塚っ!俺が何したんだよぉ〜〜〜!」

手塚は菊丸の問いに答えようがなかった。口元を大きな左手で覆い、同時にかすかに視線が泳ぐ。かなり戸惑っていたが、その戸惑いを手塚の表情から読み取れるものはいなかった。
―――1人を除いて。

「・・・英二、とりあえず行っといで?でないと20周になるよ?」
「う゛〜〜〜〜〜!にゃんでだよぉ〜〜〜〜〜!」

そう不二に言われ、ブツブツ文句を言いながら、菊丸はグラウンドへ向って走って行った。

「手塚、ちょっといい?」
「あぁ・・・」

手塚は背中に皆の戸惑いの視線を受けながら、不二に誘われるがまま付いて行く。そんな2人を見送りながら大石は溜息をついた。

「どうしたんだい大石。溜息なんかついて」
「あ、タカさん。いやゴメン、なんでもないよ」
「そっか?ならいいけど・・・。でもさ、最近手塚変だよな?・・・今だって。いつもは走らせるにしたってちゃんとした理由があったろ?」
「あ、あぁ・・・そうだよな」

そう答えると河村に気付かれないようにまたそっと溜息をついた。

(俺の気のせいじゃ―――なさそうだな)








部室の裏手まで来た時、不二は突然くるりと手塚に向き直おり、

「そういう感情も大切にした方が良いと思うよ?」

おもむろにそう言った。
何の事だか飲み込めないで眉間のシワを深くしている手塚に、クスッと笑いかける。

「相変わらず鈍いね手塚は」
「・・・どういう事だ」

手塚は「何にでも鋭く気が付く不二に比べると、誰でも鈍くなるだろう」と思わずにはいられなかったが、それでも人より鈍いのはある程度自覚していたので反論は出来なかった。
それに、今確かに自分の中に何かわだかまっているものがある事も理解していた。そしてそれをどう言葉に表したらいいのか分からずにいる事も。

「あんまり考え過ぎてもきっと答えは出てこないよ?それよりもその感情の赴くままに、1度行動してみたら?」

相変わらず渋い顔をしたままの手塚に「そろそろ片付けないと授業に遅れるよ?」と笑顔で言い残し、部室へと戻って行ってしまった。

1人残された手塚は先程の不二の言葉をひたすら考えていた。

(そういう感情―――。それは、の俺に対する態度が気になっている事を指すのだろうか。・・・気にはなっているが・・・感情?)

『考えすぎても答えは出ない』

確かにそうかもしれない。手塚は1つふぅと息を吐き出すと、クイッと人差し指と中指で眼鏡を直し、いつまでもここにいても仕方がないと、不二の後を追って部室に向った。












昼休みの廊下は生徒の往来が激しい。
購買部に向うもの、別のクラスの友達の所へと移動するもの、さまざまな理由があるが皆どこか楽しそうだ。『部活の連絡事項』などというあまり楽しくもない理由のものが果たして何人いるだろうか。
その理由を手に、手塚は2年8組まで足を運んでいた。目的の教室に着く前から、ひときわ賑やかな声が廊下に響いていた。

8組にはテニス部員が多い。桃城をはじめ、マネージャーであるもそうだった。気の会う仲間がいるとどうしても話は弾むものだ。
教室の入り口に着いて中を覗くと、楽しそうに笑って話している桃城との姿があった。これからどこかでお昼を食べるのか、ちょうど弁当箱を持って席を立とうとしているところだった。


「あ、部長!チィ〜ッス!」

返事をしたのは桃城だった。数瞬遅れても「こんにちは」と返事をする。

「あ、何か連絡ですか?」

手塚に近寄ると、身長差の為どうしても下から見上げるような姿勢になってしまう。そんなの上目遣いの視線にいつになく動揺した手塚がいたが、もちろんこの場には気付くものはいなかった。

「あぁ。俺と大石は放課後ちょっと竜崎先生の所へ行かねばならないから、レギュラーにはこのメニューで指示を出しておいてくれ」

そう言ってメニューの書かれた用紙を差し出す。
はそれを受け取るとざっと目を通し、まるで敬礼でもしかねない態度で、

「はい!分かりました」

と答えた。実に真面目な顔で。
そのやり取りをすぐ側で見ていた桃城は、内心呆れつつ溜息をついた。

(・・・ったく、素直じゃね〜よなぁ・・・お!そうだっ!)

ニヤリと笑って、なにやら思いついたらしい桃城は手塚に訊ねた。

「部長、昼メシはまだっすよね?俺らこれから屋上行って食うんですけど、良ければ一緒にどうっすか?」
「も、桃っ!!?」

「急に何を言うの?!」と言いたいが言えない。しかしそんな驚きを隠せない。眉根を寄せて明らかに困った顔をしていた。そしてそれは、の気持ちとは裏腹に手塚には『嫌そう』だと映った。

(・・・やはりそうなのか?)

手塚は答えられずにいた。自分といるのが嫌なのか・・・そう思うと何故か胸の奥の方で鈍い痛みを感じ、思わずそのままをじっと見つめていた。

「・・・あ、あの・・・・・・部長?」

その手塚の射るような視線に耐えかねて、伺うように訊ねる

「あ、あぁ、すまない」

少し慌ててから視線をはずすと、桃城に向き直った。

「・・・俺のような目上の者がいたら楽しくはないだろう。それにこれから生徒会の用がある」
「は、はい。わっかりましたっ!スンマセン突然!」
「・・・いや」

そう言って踵を返して今来た廊下を戻って行く手塚。
その後姿を見つめながら桃城は、いつも感情を読み取る事の出来ない手塚が、少し寂しそうだと思い、そう思った自分に驚いた。

(・・・手塚部長、ひょっとして・・・)

チラと横にいるに視線を移す。
当のはポンッ!とスイッチが入ったかのように真っ赤になっていた。

「桃ってば!どうしてあんな事言うのよ〜〜〜っ!!」

恨みがましい目で桃城を睨む。それにちっとも堪えた様子もなくニヤニヤ笑う。

「あぁ?そうでもしないとどうにもならねぇかな〜〜?って思ってよ」
「なっ・・・何の事よっ!あ、ホラ早く行こうよっ!お昼終わっちゃうよっ!」

は真っ赤な顔のまま屋上へと続く廊下へパタパタと足早に行ってしまった。

「おぃ待てよ〜っ!」

慌ててその背中を追いながら、桃城は考えていた。

(気付いてないとでも思ってんのかねアイツは。・・・でも案外、すぐ上手くいくんじゃね〜か?・・・でもなぁ、あの部長だしなぁ・・・)






一方その頃3年6組の教室では、朝練の時の事を根に持っていた菊丸が、不二と向いあって弁当をつつきながらさんざん文句を言っていた。

「今日の手塚絶対おかしいよっ!にゃんで理由もなく俺が走らされる訳〜〜!?」

朝から何度となく同じセリフを言いながらもその理由がハッキリしない為、まだ怒りが治まらないらしい。
黙っているつもりだった不二もさすがに限界だったらしく、ちょっと困った顔で笑いながら菊丸のその疑問に答えた。

「手塚に理由はあったよ?本人も無自覚・無意識だったけどね」
「にゃ?何なに理由って!不二知ってるの?!」

飛びつかんばかりの勢いで身を乗り出して訊ねる菊丸。

「よく思い出してみなよ。英二が走らされる前、何してたかを」
「え〜〜〜?」

う〜ん、と、唸りながら考え込んでしまった菊丸を見て、不二はいつもの笑顔を浮かべて言った。

「まぁ、手塚と同じく英二も無自覚・無意識だから、分からないかもね」
「え〜!教えろよ不二〜〜!!俺は走らされたんだから知る権利はあるんだにゃっ!」

ムッとした顔でそう言い、大きな猫目を更に大きくした。

「しょうがないなぁ。ま、でも英二はある意味被害者だもんね。いいよ教えてあげる」

クスッと笑って手招きをし、菊丸の耳元で事情を説明した。
聞き終わってたっぷり30秒固まった後、菊丸の驚きの絶叫が校舎中に響き渡った。