「あれ?今菊丸先輩の声がしなかった?」
口に運ぶ箸の動きを止め、キョロキョロと辺りを見回すが、よく知っているはずの姿は屋上にはなかった。
「気のせいっスよ」
「・・・そうかなぁ?」
どことなく腑に落ちないという顔をしてはまだ気にしていた。
「・・・んな事どうでもいいから早く食え。昼休み終わっちまうぞ」
「あ、そうだよね!ゴメンね薫くん」
好きにならずにいられない 〜後編
そう言うとまたせっせと箸を動かしだした。
いつもの自分の定位置を思わぬ相手に占領され、憮然とした表情でそれを見ていた桃城。
「越前はまだしも、なぁんでマムシと一緒に飯食わなきゃいけね〜んだよ!」
「だって、途中で会ったし。折角だから2人とも一緒にどうかな?って思って」
「誰がマムシだ!・・・それにテメエと食う為に来たんじゃねぇ」
「んだと?」
「やんのかコラ?あぁっ?!」
「・・・2人ともまだまだだね」
そんな3人をはいつもの事だとニコニコして見ていた。
「ケンカするほど仲がいいってね〜」
「・・・先輩・・・。ちょっと違うと思うけど」
「何が?」
「・・・・・いいっス」
本気で首をかしげているに、これ以上何を言っても無駄な事はレギュラー陣ならよく分かっていた。もある意味鈍感であった。
本当に楽しそうに笑っているを見ながら、3人は「反則だよな」と思わずにはいられない。彼女の笑顔は見る者をどこか元気付け安心させるようなとても綺麗な笑顔だったから。
そう、レギュラー陣は少なからずマネージャーであるに好意を寄せていた。
しかしいつの頃からか、何気ないの視線に気付いてからは、それぞれがみなその想いを心に仕舞い込んでいたのだ。
ある1人だけに向けられているひたむきな視線。それが自分でない事に悔しさもあったが、それでも応援しようと思ってしまうのは惚れた弱みからだろうか。
「・・・ずっとそういう顔してればいいのに」
「?そういう顔って?」
は頭に疑問符を浮かべつつ隣に座っている越前に聞き返す。
「笑顔」
「え?えぇっ?!私、笑ってない?!ウソッ?!」
突然の思いがけないセリフにパニックになる。
(いつもそんなに無愛想な顔してたかなぁ・・・知らないうちに皆に嫌な思いをさせていたかもしれない・・・)
あれこれと余計な事を考えている事が一目瞭然の様子に、苦笑しつつ話を続ける。
「・・・そうじゃなくて。俺達には笑ってるよいつも。・・・でも、1人だけには笑わないよね?」
「っ!!」
は言い当てられて何も言えず俯いてしまった。
いつからかなんてにも分からなかった。最初はただの先輩後輩。そして部長とマネージャー。それだけだったのに、試合中の真剣な眼差しや、テニスに対する情熱。少しずついろんな事を知るたびにドキドキして、気が付けばどんどん惹かれていた。
個人的に話をする事も多く、その度に気持ちが溢れそうになり、そのうち、どんな顔をしたらいいのか分からなくなっていった。
もちろん皆に対するのと同じように笑おうとした事もある。しかし何故か手塚の前だと笑うより泣きそうになった・・・好きすぎて。
そう、好きすぎて泣けてくる。こんな事もあるんだとは初めて知った。無理にでも笑ったら気持ちと一緒に涙も溢れそうになる。
手塚はいつも真面目な顔で話をしてくるから、自分の気持ちにストップをかけるつもりで、同じように真面目な態度で返そうとする様に努力した。
――――そして、手塚の前では笑えなくなった。
そんなの気持ちは皆知っていた。知らないのは、気付いていないのは手塚ただ1人・・・
いつまでも顔を上げようとしないに桃城は1つ咳払いをして声をかけた。
「なぁ。お前、そんなに気持ち抑える必要ね〜じゃん?いい加減素直になってみろよ」
「も、桃っ!!・・・し、知ってるの?そ、その、あの、わ、私・・・」
「・・・知らねぇヤツなんざいねぇ」
「えぇっ?!か、薫君まで?!」
「バレバレっスよ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
顔を真っ赤にして二の句が継げないでいる。その様子をいつになく優しい視線で見つめる3人。
「頑張ってみろよ。俺ら皆応援してんだぜ?」
ポンと頭に置かれた大きな右手が暖かい。
「・・・でも・・・迷惑かけたくないし・・・」
「・・・迷惑かどうかは相手が決める事だろ。自分で決め付けてんじゃねぇ」
そっぽを向きつつも励ましの言葉をくれる不器用な優しさ。
「・・・今の関係壊したくないし・・・」
「関係が壊れたらそこで気持ちも終わるんだ?ふ〜ん、そんな程度な訳?」
言葉はきつくても確かにそこから伝わる気持ち。
皆が背中を押してくれる。少しずつ勇気を分けてくれる。は自分でも知らずに涙がこぼれていた。
「うわわっ!コラ越前っ!お前もう少し言い方があるだろがっ!!」
「も、桃先輩こそ!もうちょっと気の聞いた事言ったらどうっスか?!」
「っ!!・・・おぃテメエら!どうにかしろっ!」
「んだとマムシっ!そういうテメエがどうにかしてみろよっ!」
「んだと?やるか?」
「おぉ!やってやるよっ!」
ギャーギャーといつまでも続きそうな口論。はそんな様子ずっと見つめていたが、受け取った少しの勇気を大切に暖めるかのように、小さな両手をそっと胸の前で握り締めた。
「皆・・・ありがとう・・・」
そう言うとこぼれる涙を拭おうともせず、今まで見せた事がない笑顔で笑いかけた。そしてそのままは、足早に屋上を後にした。
真っ赤になって固まってしまった3人を残して。
今度の生徒集会の資料を整理していた手塚は、ふと溜息をついた。
(・・・最近溜息が増えたな・・・)
そう思って自分に苦笑する。増えた原因は分かっている。そうだった。
彼女の自分以外に向けられる笑顔。何故それが自分にだけは向けられないのか、どうしても納得の行く答えを見つけられずにいたから。・・・・さっきまではそうだった。
(どうやら嫌われているらしいからな・・・)
先程の桃城との会話を思い出す。手塚も一緒にどうかと誘った桃城に対し、明らかに困った顔をしていた。
(俺のような気の効いた話の1つもしないヤツが行っても・・・。そうだな、嫌いなヤツと一緒にいて楽しいはずはない。笑えるはずもないな・・・)
そう考えているとさっきも感じた鈍い痛みが甦ってきて、それがまた溜息を増やす要因になっているようだと気が付いた時、生徒会室のドアをノックする音で手塚の思考は中断された。
「はい、どうぞ」
ガチャッとドアを開けた人物を見て軽い驚きを覚えた。
「珍しいなこんな所まで。何か用か?放課後の練習メニューならさっきに渡してきたぞ?」
「いや、ちょっといいか?」
「・・・あぁ、入れ」
そう言って席を勧める。手塚より5cm高いその身長も、椅子に座ればそんなにあるようには見えなかった。
「で、どうした?わざわざ訪ねてきたからには大切な話なんだろう?」
「あぁ、最近面白いデータが取れてね。それを報告に来たんだ」
そう言って眼鏡を直すとおもむろにノートを開く乾。
「これからの対戦校のデータか?それなら部活中にでも―――」
「いや、手塚。お前のデータだよ」
手塚の言葉を遮って出た乾の予想外のセリフに、眉間のシワを増やす。
「・・・俺のデータを俺に教えてどうする?お前にとってもデータを公開するのは不利じゃないのか?」
「あぁ。確かに不利かもしれないが、敵に塩を送るとも言うしな。でもこれはお前の為に教える訳じゃないさ」
「どういう事だ?」
「・・・さあね」
手塚は乾の表情を読めない眼鏡をこれほど苦手に思った事はなかった。テニスの事ならそうは思わなかっただろうが、手塚の第6感が反応していた。「テニス以外の事」だと。
「―――なんだ?」
目の前にノートを差し出す乾。それを見ろという事らしい。憮然としたままそのノートを覗き込んで更に憮然とした。それはグラフであった。
「手塚の溜息の数と、手塚がグラウンド行きを告げる回数のグラフだよ。見て分かる通り見事比例しているだろ?これが表す事は―――」
「言わなくていい」
先程とは逆に今度は手塚が乾を遮った。
「何故そんなデータを取っているんだ」と思ったが、聞いても無駄だという事も良く知っていた。
「分かるのか?」
「・・・・・あぁ。いくら俺でもここまでハッキリと突きつけられれば、な」
「そうか。で、自分でどう分析する?」
「・・・・・・・やはりお前には隠し事などできそうもないな」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
そう言って、そのまま手塚の答えを待つ。乾には聞かなくとも分かっていたが、どうしても今本人の口からハッキリとさせなければならない理由があった。
どれくらいの沈黙があった事だろう。ようやく重い口を開いて手塚が言った。
「・・・俺はが気になっている。この気持ちが恋愛感情であるかと聞かれれば、きっとそうなんだろう」
それでもどこか冷静な答えの手塚に、乾は内心苦笑した。
「やっと自覚したな」
「・・・そういう事になるか」
「だそうだよ?」
手塚の顔が一瞬だけ強張ったのを乾は見逃さなかった。しかしここには2人の他に誰もいない。
「乾、冗談も程々にしろ」
「冗談かどうかは自分の目で確かめるんだな」
乾はおもむろに立ち上がると、閉じていたドアを開けた。
「っ!!――――いつからそこに・・・」
誰の目から見ても明らかに動揺している手塚がいた。そしてそこには顔を真っ赤にさせて佇んでいるの姿。
「さて、俺は行くよ」
あまりに突然の事で乾に返事を返す余裕すらなく、そして手塚が気が付いた時にはその姿もなかった・・・
暫くしてようやく落ち着きを取り戻した手塚は、に中に入るよう勧め、先程の乾と同じように向かい合う席に座らせた。
「・・・いつからいたんだ?」
そうに問いかけると、ビクッと体を震わせて小さくなって謝る。
「ご、ごめんなさいっ・・・。でも、あの、立ち聞きしてた訳じゃありませんっ!わ、私・・・、部長にお話があって、来たんです・・・。そ、そうしたら・・・」
「・・・俺からも話がある。先に聞いてもいいか?」
「・・・・え?あ、は、はい!」
「俺にだけ笑ってくれないのは何故だ?」
思いもかけず、自分の気持ちの核心に触れる部分をストレートに突いてきた手塚に、は固まった。
「えっ!そ、それはですね、あ、あの・・・」
決心してきたはずなのに、射抜くような、強い意思を秘めた視線。その大好きな瞳に見つめられ思わず気持ちがくじけそうになる。そっと両手を握り締める。さっき屋上で皆からもらった勇気を総動員しようと、は深く深呼吸した。
「わ、私、ずっと前から―――気が付いたら・・・手塚部長が好きでした。ううん、こんなに側にいて惹かれない方がおかしいです。・・・・・きっと、好きにならずにはいられませんでした」
今度は手塚が固まる番だった。手塚にとってはさっきの質問の答えになっていなかったし、何よりそれなら何故笑ってくれないのかと、疑問が深まるばかりだった。でもそれでも、嬉しい誤算であるには違いなかった。
自然に手塚に笑みがこぼれた。そしてそれを見たは・・・涙がこぼれた。
「っ!・・・・・何故泣く」
「あ・・・す、すみません・・・嬉しくって・・・・・部長が、初めて笑ってくれたから・・・」
そう言って手塚に向けられた顔は、涙に濡れて透き通るような笑顔。
手塚は言葉に詰まった。部活中に何度も目撃しているはずのの笑顔。でも今目の前で笑っている彼女と別人のようだった。皆の前での笑顔が明るい太陽なら、今手塚に向けられている笑顔はまるで穏やかな月。綺麗で、神秘的で、はかない印象さえある。
まるでこのまま消えてしまいそうな思いに囚われ、手塚はほとんど無意識に左手を伸ばし、の頬を流れる涙を拭った。
そこにある温もり。確かにすぐそばにある愛しい存在を感じ、今までとは違い初めて安堵の溜息を漏らした。
はさっきから息苦しいくらいの自分の鼓動と、手塚の熱い視線に戸惑っていたが、目の前で手塚が優しく微笑んでいる事が何より嬉しくて、ずっと目を逸らせずにいた。
「・・・やっと笑ってくれたな」
「え?あ・・・、それは・・・」
は先程訊ねられた質問に答えていなかった事を今更のように思い出した。
涙が止まらないので、手塚の手は相変わらず自分の頬に添えられたまま。の心臓は爆発しそうだった。
「・・・好きになりすぎて、部長の前でどんな顔をしたらいいのか分からなくなったんです・・・。何度も笑おうとしました。でも――――っ!!」
黙っての話を聞いていた手塚だったが、涙に濡れた瞳と「好きになりすぎて」という言葉に自分の中の何かが壊れた音を聞いた。
『感情の赴くまま行動してみたら?』
そう言った不二の言葉が甦ってきて、気がついたらの言葉をそのまま飲み込まこんでいた。重ねられた唇。がビックリして伸ばした手も難なく捕まえる。机越しのキス。
「―――――そんな顔でそんなセリフを言うな」
そう言った手塚の整った顔は少し赤く、そして柔らかい微笑みを浮かべていた。触れ合っていたのはそう長い時間ではなかったが、顔を真っ赤にして息を乱しているにとっては、それは永遠にも感じられていた。
「あ、そう言えば部長、今日の朝練の時変じゃなかったですか?何かあったんですか?」
「・・・・・・・・・・・」
少ししてやっと落ち着いたは、疑問に思っていた事を聞いてみる事にした。
「・・・あ、あの、ひょっとして、聞いちゃいけなかったですか?」
恐る恐ると言った感じで、今並んで座っている手塚に問いかける。聞かれた手塚は朝の出来事を鮮明に思い出して眉間にシワを寄せていた。
(『そういう感情も大切にした方がいい』・・・か。確かにな)
抑えてばかりいたらいつかきっと爆発する。そう思う程自分はが好きなのだと改めて自覚した手塚は、を引き寄せて抱きしめた。
「ぶ、部長?!」
「・・・・・こんな風にされるのは俺だけにしておけ」
「・・・部長・・・」
今といいさっきのキスといい、手塚の積極的な行動に驚きを隠せない。
菊丸に抱きつかれた事を言っているとすぐに分かったが、そんなスキンシップにも(菊丸にとってはそれ以上のものがあったのだが)妬いてくれていたという事実。そしてそんな風に感情を見せてくれている事が泣きたくなるくらい嬉しかった。
そっと背中に手を回し、自分からも抱きしめる腕に力を込めてみる。それに答えるかのように更に力が増すたくましい腕。すっぽりと包まれてもまだ余裕のある心地よい広い胸の中で、は小さく「はい」と返事をした。
(・・・俺は自分で思っていた以上に独占欲が強いみたいだな)
そう苦笑すると、腕の中のをいとおしげに見つめながら、さっきからドアの向こうで騒いでいるメンバーに「放課後グラウンド50周だな」などと考えつつ、まるで見せつけるかのようにいつまでも抱きしめた腕を離そうとはしなかった。
「うにゃぁ〜〜〜〜〜〜!!俺のちゃん〜〜〜〜〜〜!!!!」
「ショッキ――――――ングッ!手塚ぁ〜〜〜!いつの間にィ〜〜〜!!!」
「え、英二!静かにしろって!タカさんも落ち着いてっ!」
「ふむ、手塚は意外に手が早い・・・と。いいデータが取れた」
「乾も、わざわざ気付かせるなんてどうしたの?」
「いろんな意味でこれからのデータが楽しみでね」
「そう。・・・戦線離脱でいいの?」
「これからの手塚次第かな?」
「クスッ」
「ちぇっ・・・。まぁ部長相手じゃしょうがね〜よなぁ、しょうがね〜よ」
「どっちにしろテメエが相手にされる訳がねぇ」
「んだと?!そういうテメエはどうなんだよっ!」
「・・・2人ともうるさいっス」
「越前は冷静だね?とっくに諦めてたの?」
「不二先輩こそ。部長にアドバイスなんかして、らしくないっスよ」
「フフッ。これくらいしないとフェアじゃないからね」
「・・・・・あくまでも邪魔する気っスね」
「僕のアドバイスは高いからね?」
「・・・・・・・・・・」
言い訳部屋行く?