無駄に広いベランダの手摺りから落ちそうなくらい身を乗り出して、飽きる事なく星空を眺めている。
―――隣にいる自分には、一向にその視線は向けられない。
「・・・おい」
不機嫌を隠そうともせず何度声をかけても、生返事ばかり。跡部は思わず溜息を漏らした。
(・・・・・・・・・面白くねぇ)
A star is in a side 〜 七夕の夜に
今まで1度も天の川を見た事がないという驚くべきセリフを言ったに、「子どもの頃よく行った別荘のベランダから、飽きるほど見たぜ」と答えてしまったのが運の尽き。
「連れて行って!」とが言い出すのに3秒もかからなかった。
自室でくつろいでいたはずの跡部が突然、「車を出せ」と言い出した事に対して疑問を投げかけるような不心得者は、跡部家に仕える者の中に誰1人いない。
行き先だけ告げられた運転手は黙って一礼し、リムジンのドアを開けた。
高速を走る事約2時間。聞きなれた都心の喧騒がすっかり鳴りを潜め、辺りからは虫の音色しか聞こえてこない。
別荘が立ち並ぶ有名避暑地から少し外れにある、跡部家の別荘。
子どもの頃にはよく来ていたが、跡部自身訪れるのは何年振りか。それでももちろんしっかりと手入れの行き届いたその建物に、ほんの少しだけ懐かしげな視線を送り、あまりの別荘の大きさに呆然としているの背中を押しながら、玄関をくぐった。
跡部は付いて来た執事に飲み物を頼みながら、勝手知ったる廊下を歩く。
辿り着いた部屋のドアを開けると、それまで借りて来た猫の如く大人しかったが、飛び跳ねるような勢いでベランダ目掛けて走って行った。
そんな彼女の無邪気な様子に苦笑しつつ、「たまには悪くねーな」と思っていた。
・・・そう、確かに最初はそう思っていた。
本当に子どもみたいに嬉しそうな顔をして星を見てはしゃいでいるを見るのは悪い気もせず、むしろ普段見る事の出来ない一面を見れて、嬉しさの方が勝っていた。
―――しかしそれもせいぜい最初の5分くらいの話。
は、かれこれ30分くらいずっとそうして空を眺めているのだ。
何度声をかけても、今星を宿している綺麗な瞳に、自分は映らない。
「おいっ!!」
いい加減痺れを切らして怒鳴ってみても、まったく意に介していないようで、それどころか質問を投げかけてきた。
「あ、ねぇねぇ!織姫と彦星って、なんで1年に1回しか逢えないんだっけ?」
も子どもの頃確かに聞いた覚えがある話。でもそこはやはり子どもの事。
短冊に願い事を書くのに夢中で、そういう記憶は置き去りにしてしまったようだった。
「・・・そんな事も知らねーのかよ」
「・・・・・・忘れちゃったの」
ペロッと小さく舌を出して苦笑するに「教えてやるからこっち向け」と言って、やっと絡まる視線に不覚にも安堵を覚えながら、跡部は丁寧に答えた。
「天の川の西に住んでいて天界の機を織るのが仕事だった織女、織姫と、川の東に住んでいる牛飼いの牽牛・・・彦星だな。この2人が結婚して川の東の彦星のところで暮らし始めたんだが・・・話ばかりして2人ともさっぱり仕事をしなくなってな。怒った天帝が川の西に織姫を連れて戻ったんだ。すると織姫は毎日泣き暮らして、さすがにかわいそうに思った天帝が、年に1度、7月7日の日だけ、天の川を渡って逢う事を許した・・・・・・とまぁ、こんなところか。他にも色んな説があるが、これが1番ポピュラーだな」
スラスラとそんな伝説を語る跡部に、は目を見開いた。
「・・・・・・ホント、何でも知ってるのね」
「あぁん?常識だろ?」
「うっ・・・た、確かにそうだけど!ホラ子どもの頃って、お願い事叶えてもらうのに一生懸命だったじゃない!」
「フン。願い事なんて、自分で努力して叶えるもんだろーが」
「・・・景吾・・・ロマンがないよ」
「うるせえ。・・・・・・・・・で?」
端整な顔の口元を少し歪めて笑う。その笑顔はいつも何か企んでいる時の笑顔。
嫌な笑顔だと思う人が多いそんな表情も、は綺麗だと思っていた。
(・・・こんな笑い方が似合う人って他にいないよね)
しかし跡部がこういう顔をする時はロクな事がない。それは経験上イヤと言うほど分かっていたので、は警戒しつつ問いかけた。
「・・・何が?」
「興味本位で聞いといてやるよ。どんな願い事したんだよ?」
(・・・やっぱり)
は内心で盛大な溜息をついた。跡部は聞いて欲しくないと思った事を必ず聞いて来る。
それがもちろん、彼女の自分に対して興味を持ってくれているからこそだとは思うが、それでも言い難い事はあるもので。
「・・・・・・笑うから言わない」
「笑わねーから言えよ」
相変わらず口元を歪めながら、さっきまでとは打って変わって楽しそうにしている。
おもちゃを見つけた子どものように。
(・・・ある程度想像ついてる癖に、絶対私の口から聞き出そうとするんだもん・・・)
力強く、すべてを見透かす瞳は、相変わらず真っ直ぐに向けられている。
このままでは分が悪いと悟ったは、話の流れを変えるべく、大好きな視線を自分から思い切って逸らしてベランダの手摺りに座った。
「おぃ何やってんだ!危ねーだろ!」
「大丈夫!それにこの方が星が良く見えるんだもん!」
「ったく。・・・・・・まだ見るのかよ」
跡部は右手で髪をクシャリとかきあげて溜息を付きつつ、逸らされた視線をそのままの横顔に向けていた。
星空を見つめるは、まるでこのまま空に飛んで帰ってしまうのではないかと思えるくらいに浮世離れした、透明感溢れる綺麗な笑顔を浮かべていて、それがどこか跡部の不安を煽る。
(・・・そういえば、天女の羽衣の話と七夕が結びついてる伝説もあったっけな)
日本各地の伝承はさまざまで、そう言う話が伝わる地方もある。
(・・・コイツが織姫で飛んで行っちまうなら、俺はやっぱり・・・羽衣を隠すだろうな―――フッ、ガラにもない事を)
跡部がそんな自分に内心で苦笑したその時、が声をあげた。
「あ!でも2人とも、仕事も手に付かないくらいお互いを好きになって夢中だったんだね・・・そんな好きあってる2人を遠ざけちゃうなんて酷いっ!!」
まるで自分の事のように、本当かどうかも分からぬ伝承に怒っている。
大人びているかと思えば変に純粋で真っ直ぐな所がある。そんなアンバランスさが気になって跡部の目に留まったのはいつの事だったか。
同じ頃、同じようにを気にしていたテニス部メンバーを、あらゆる手段を使って蹴散らして、見事の隣を獲得した事をふと思い出す。
「あーん?何言ってやがる。恋愛に現を抜かして仕事をしない方が悪いんだろうが。自業自得ってやつだろ」
「そ、そうかもしれないけど・・・でも、そんなに好きになれるなんて、なってもらえるなんて、やっぱり素敵じゃない・・・」
そう言ってなにやら悲しそうな表情を浮かべながらも、は先程と同様、星ばかり見ている。
跡部はスッと、ベランダの手摺りに座るの正面に移動した。
ふと身近に人の気配を感じて、見上げていた視線を顔ごと地上に向けると、の目の前には整った綺麗な顔があった。
天上で光輝く星々にも負けない、それどころか逆に、ある種神々しいくらいの光を常に身に纏って輝いている、地上の星。
(・・・こんなにも綺麗な星が側にいるのよね・・・)
突然の跡部のアップに思わずそんな事を考えていただったが、今の状況を把握するや否や、体中の血が顔に集まったかのような火照りを覚えた。
いつもならかなりある身長差も、手摺りの高さで相殺されてまったくなく、しかも跡部の両手はを挟む様にして、手摺りにかけられている。
「・・・いい加減こっち見ろよ」
すぐ側で聞こえる心地よい声色が、の高鳴りっぱなしの心臓に拍車をかける。こんな近くにいると息苦しいくらい緊張する。
星を見上げているのは確かに楽しい。だが実は、隣にいる跡部の存在を変に意識しないように必死だった。
(・・・他の事がどうでもいいくらい夢中になっているのは・・・織姫でなく、私だわ)
そんなとは正反対に、跡部は顔色1つ変えない。
ある日突然「俺様の女になれ」と言われた。でもそう言われる前からずっと見つめていた。ずっと好きだった。だからそう言われた時、は本当に信じられなかった。
もしこの現実が夢だったらどうしようかと、いつも不安に揺れていた。自分に都合のいい夢を見ているのじゃないか・・・と。
射抜くように真っ直ぐ見つめてくる視線は緩む事はなく、はこれ以上自分の気持ちがばれないように、と、わずかに目を伏せた。
「無駄な抵抗してんじゃねーよ。・・・こっち見ろって言ってんだろ?」
伏せた目を戻した途端、ダークブルーの瞳に囚われる。
その瞳がいつもより熱を帯びているように感じられて、を戸惑わせた。
「・・・余計な事考えるな。お前は俺だけを見てればいいんだよ」
「え?」
「・・・・・・俺様は欲張りだからな。テニスや勉強や仕事、恋愛も絶対に手は抜かねぇ。・・・いい男ってのは何でもこなすもんだろ?ただ、お前は、俺の側にて、その目に俺だけを映していればいいんだよ。これから先もずっと、な」
思いがけない跡部の言葉にの心拍数は跳ね上がる。
「ね、そ、それって、プロ―――キャッ!?」
「っ!!」
あまりに動揺し過ぎて、今自分が座っているのがベランダの手摺りだとすっかり失念していたは、バランスを崩した。
(落ちるっ!・・・・・・・・・?)
確かに一瞬浮遊した感覚があったが、次の瞬間別の感覚がの身体を支配した。
全身を包み込むように感じる温もり。耳に心地よい鼓動。普段から跡部が好んでつけている微かに香るコロン。
そして―――
「バカ。だから危ねぇって言ったんだ」
頭の上から聞こえる、大好きな声。
「ご、ごめんなさい・・・」
抱き止めた腕に力を込め、ここに確かに大切な存在がある事を感じ、跡部は安堵の溜息をついた。
「・・・チッ。これだから目が離せねーんだよ」
「え?」
「いくら手を抜いてなくても、どこで何をしてても・・・・・・逢っていても逢っていなくてもお前の事が気になって頭から離れない。お前の瞳に映るすべてのものに嫉妬を覚えるくらい・・・この俺様がそれくらい夢中なんだよ。に。だから―――」
「っ!?」
ある言葉と共に重ねられた唇に、強張ったのは一瞬。
は込み上げてくる涙と共に軽い眩暈を覚えながら、静かに瞳を閉じた。
そっと身体が離されても、の鼓動は治まる気配を見せなかった。
先程確かに告げられた言葉。それをもっと確かなものにしたくて、何度も自分の中で反復するから余計に治まらず、頬も火照ったままだった。
「・・・何照れてるんだよ」
「て、照れてなんかないっ!」
「クッ、耳まで真っ赤だぜ?」
は思わずバッと両耳を押さえて、跡部にひとしきり笑われた。
「・・・天になんか帰えさねぇ。誰が逃がすかよ」
「え?何か言った?」
「・・・なんでもねーよ」
「?」
幾千幾億の星達が降ってきそうなこの夜。
地上に大切な星を見つけた2人は、今宵限りの織姫と彦星にならずに輝き続ける。
『せかいいちだいすきなひととけっこんして、せかいいちしあわせになりたい』
『ほれたおんなをぜんしんぜんれいかけていっしょうまもってやる』
子どもの頃の願いが叶うのも遠い日ではないと、空の上の2人は知っていた。
…after that
言い訳部屋行く?