チュンチュン。チチチ。
「う〜ん・・・」
カーテンの隙間から光が差し込み、は眩しそうに目を細めた。が、ガバッと起き上がって目覚まし時計をつかむ。6時30分。
「よし、大丈夫!!」
ベットの上で伸びをし、おもむろに窓に駆け寄り勢いよくカーテンと窓を開ける。朝の日差しが心地いい。ひとつ大きく深呼吸し、春の香りとともにすがすがしい空気を胸いっぱいに吸い込む。
「天気上々気分上々体調絶好調!うん!今日こそ勝てる気がする!!よぉ〜し!首を洗って待っていなさい桃城武!!!」
負けられない理由 〜前編
。青春学園2年。彼女の朝は実に騒がしい。
彼女にとって学校までの道のりは死闘の場と化していた。
今日も軽快に風を切って自転車を飛ばして行く。いつもこの時間のこの場所、次のカーブを曲がる頃必ず見えてくる後姿。
「いたっ!」
目的の人物を見出したは、スピードを落とすどころか加速してそのまま抜き去る。
「うぉおっっ?!」
後方から一陣の風が来てあっという間に去って行った。
しばらく呆然と、その風を見つめていた人物は、ふぅ、とひとつ溜息をついた。
「またかよ。・・・でもここで逃げちゃあいけねぇな、いけねぇよ!」
そう言い残し、彼もおもむろにペダルを漕ぐ足を速めた。
桃城武。
の標的でもあり、クラスメートでもある。強豪の呼び名が高い青春学園のテニス部に所属し、その腕前は全校生徒が知る通りかなりのもので、パワー溢れるプレイは見る物を圧倒させる。
一癖も二癖もあるレギュラー陣の中でも、その存在感はなにひとつ劣る事はなかった。
「よしっ!ここまで引き離せば・・・」
そう一息ついて後ろを振り返えると、すぐ目の前に桃城の姿。
「えっ!?嘘っ!!」
「油断大敵だぜ!!」
先程とは逆に、桃城が軽快なペダルさばきでを抜き去って行く。
「冗談!!勝負は最後まで分からないんだからっ!!」
もまたスピードを上げる。彼女には負けられない理由がある。
2台の自転車が通学路を猛スピードで走り抜けて行く。
少しもスピードを緩める事無く後ろを振り返り桃城が叫ぶ。
「お前いい加減そろそろ諦めたら?!別に俺に勝てなくったってレギュラー落ちする訳じゃないだろ?」
「そういう問題じゃないの!誰が諦めるもんですかっ!!陸上部の私が、テニス部のあんたに負け続けるなんて納得できないのよっ!!陸上部エースの体面にもかかわるんだからっ!!」
「それにしたって、なんだって毎朝毎朝・・・」
桃城は片手をハンドルから離し、頭を掻きながら苦笑する。
テニス部の面々は、皆かなりの身体能力の持ち主揃いで、時として他の部活の分野にまで侵食する。
去年の体育祭。部活対抗リレーでの所属する陸上部は見事にテニス部に完敗した。その時1年生ながら出場していたは、2番手で、バトンを受け取ると自慢の俊足を生かし、ぐんぐんリードを広げていった。このままトップで3番手にバトンを渡せると思っていたのに、そんな自分をバッと抜き去る1つの影。それが桃城だった。
「あっ?!」
と思ったのはほんの一瞬。その走る後姿に何故か胸が高鳴った。抜かれたショックよりなにより、桃城の走る時の力強い綺麗なフォームに目を奪われた。
結局2番でバトンを渡し終えたに、にこやかな、曇り1つない眩しい笑顔で
「よっ!おつかれさん!」
と話しかけてきた桃城。先程の胸の高鳴りが止まらない。いや、それより更に高鳴ってきたようで、周りに聞こえるかもしれないと思うくらいだった。
そんな自分の動悸は、動揺は、負けたせいだ!決して桃城に好意を抱いた訳じゃない!!と軽く頭を振り、自らに言い聞かすかのように、は桃城をビシッと指差した。そして、
「あんたには絶対勝つからねっ!!」
と、高らかに宣言したのだった。
そうして、自転車通学だったは、同じく自転車通学の桃城に学校までの自転車レースを挑むようになり、はや半年になる。今では学園中の生徒がこの勝負を知っている。最初の頃はどっちが勝つか賭けの対象になっていたらしいが、圧倒的に桃城有利で賭けにならなかったという。そう、戦率は桃城の全戦全勝であった。
桃城は軽く溜息をつき、チラと右後ろを振り返る。何か思いつめた顔で自転車を漕ぐ。そんな一生懸命さに1度くらい負けてやってもいいかななどと思ったが、しかしそれはやはりに失礼だろうと思い直す。
(どんな理由であれ勝負は正々堂々!例え相手が女であっても挑まれた勝負は受けて立つのが男ってもんだろ!それに・・・)
毎朝が勝手に勝負をしかけて来るだけなので、別に相手にしなければいいだけの話ではあるのだが、実は桃城にも負けられない理由があった・・・
前方に視線を戻すと、桃城ももよく見知った2人連れ。抜き去りざまに挨拶を交わす。
「チ〜〜ッス!エージ先輩!不二先輩!」
「おはようございます!先輩方!!」
返事も聞かず2つの風はあっという間に前方へ。
「ま〜ったく。よく続くにゃあ、あの2人」
「クスッ。大変だね桃も」
すでに豆粒大にしか見えない2人の後姿を見送りながら話す菊丸と不二。
「乾なんかはいい基礎トレになるって喜んでたにゃ。なんてったって毎朝学校まで全力疾走だもんにゃ〜!」
そう言うとにゃはは!と笑う。
「うん。確かに一石二鳥かもね」
「にゃ?一石二鳥?どういう事??」
基礎トレだけなら一鳥だろうと、不思議がる菊丸。
「フフッ。もうすぐ分かるよ、きっと」
なにやら意味深な言葉を残し、楽しそうに笑う不二。
「え〜〜!にゃんだよそれ〜!自分ばっかりずるいぞ不二ぃ〜〜〜!!」
先輩が自分達の話題で盛り上がっているなど知る由もなく、相変わらずのスピードで飛ばしている2人。
自転車レースのゴールは校門。もうすぐ見えてくるはずだ。
(さぁ!ラストスパートだっ!!)
残りの力をペダルに込める。
(今日こそは!今日こそは勝つんだ!!勝ってそして・・・)
の胸のうちにすんなりと入り込んできた桃城。勝負を宣言したあの日から確実に意識していた。2年になって偶然同じクラスになって、毎日毎日色んな顔を見てきた。色んな話をするようになった。気が付いたら目で追っていた。いつの間にか周りの友人にからかわれる程仲良くなっていた・・・。認めたくなかった想いは、いつの間にかハッキリと恋心として認識していた。
前を走る逞しい背中を見つめながらは思う。
(いつまでもずっとこの背中を見つめながら走っていたい・・・)
陸上部エースの体面なんて本当にどうでもいい口実。ただきっかけがないと動け出せない臆病な自分に、そして実に可愛げのないこんな勝負を挑む自分に苦笑した。
ラストスパートで桃城と並んだ。
(よし!行ける!!)
グッと足に力を入れた瞬間、の自転車はガチャガチャと不平を鳴らした。
「え?!」
何が起こったのか理解する前にの体は宙を飛んだ。
「っ!!!」
突然すべてがスローモーションで見える。は視界の片隅に上下逆さまになって自転車に乗っている桃城の姿を捉えた。
(あれ?私、どうなってるの?あ、そう言えば桃城、今、名前で呼ばなかった?なんで?それになんでそんな必死な顔してるの?)
瞬間的に色々な考えが頭を巡ったが、したたか背中を地面に打ちつけてその思考は中断を余儀なくされた。あまりの痛さに息が詰まる。涙が出る。
「おぃ!!!!!!大丈夫かよっ!!!」
自転車を飛び降りて駆けつける桃城が滲んで見える。
(い・息が出来ない・・苦しい・・・ひょっとして私このまま死ぬのかな・・・。最後に見れたのが桃城で良かった・・・。でも、まだ私なんにも伝えてないんだよね。この気持ちこのまま伝えられずに終わっちゃうのかな・・・そんなのイヤだ・・・せめて、せめて一言だけでも・・・)
「今すぐ保健室連れて行ってやるからしっかりしろよっ!!!」
「も・・・も・しろ・・・」
「いいから喋るなっ!!!!」
「・・だ・・・い・・す・・・き・・・・・」
(伝えられたかな、うん、大丈夫だよね。ありがとう桃城・・・こんな気持ちをくれて)
は薄れゆく意識の中、温もり。鼓動。さっきとはまた違う、心地よい浮遊感を感じていた。
(なんだろう・・・すごく安心する・・・)
そのまま意識を手放した。