「!っ!!」
「桃城君、そんな大声出しちゃダメよ。頭は打ってないようだけど安静にしてなきゃいけないんだから」
「あ、はい。スンマセン・・・」
保険医にそう怒られたけれど、桃城は冷静ではいられなかった。
桃城の目の前で宙を舞った。まるで体操選手のように綺麗な放物線を描いていたから、自転車のチェーンが外れて転んだだなんてさすがの桃城でも一瞬理解できなかった。
でもそれはほんの刹那の間。すぐに自転車から飛び降り駆け寄った。
駆けつけて覗き込んだ時の透き通るような顔色。普段のは陸上部なので、日焼けをしていて、健康そのものの肌の色をしている。
(なのに、なんでこんななんだよっ!!)
苦痛で顔を歪めながら涙で滲んだ瞳で桃城を見あげている。その瞳に何か言いたげなものを感じてはいたが、一刻も早く保健室へと抱き上げた。
(・・・っんだよ。なんでこんなに軽いんだよ!普段何食ってんだコイツ?!・・・・・それにしても、やっぱ、柔らかいんだな女って。全然ヤローとは違う・・・・・だあぁ――――っ!!!!そんな事考えてる場合じゃねぇだろよっ!とにかく保健室だっ保健室っ!!)
桃城は頭を左右に思いっきり振り雑念を追い払うと、自分の腕の中で青い顔をして消えてしまいそうなを労わりながら、それでも少しでも早くと走った。その時、かすかな声が桃城の耳に届いた・・・
負けられない理由 〜後編
「・ん・・・。」
「?」
すぐ側から私の大好きな人の声がする。
「ももしろ・・?・あれ?・・・ここって・・・・・・っ!!」
「バカ野郎!急に動くんじゃねぇよっ!!寝てろって!」
落ち着いて周りを見回すと、白いカーテン、白い壁。どうやら保健室だという事が分かってきた。
なんだろう、体のあちこちが痛い。
「・・・私・・どうしたの?」
「覚えてねーのかよ・・・。お前俺の目の前で自転車ごと派手に転んだんだぜ?」
「え?」
「お前、自転車ちゃんと整備しなきゃいけねぇな。チェーンは伸びきってるし錆びだらけだったぜ?だから外れたりするんだよ」
「・・・そっか。私転んだんだ」
そしてチラと桃城の顔を見ると明らかに不機嫌な顔。は、それきり訪れた沈黙に耐えられなくなった。
「・・・あの・・・ごめんね?」
桃城はちょっと驚いた顔をしての目をマジマジと見る。
「・・・それは何に対して謝ってんだよ」
「だって、なんか桃城怒ってるんだもん・・・」
「理由も分からずに謝るんじゃねぇよ」
「う・・・。自転車整備してなかったから?」
「お前バカだろ。・・・そんなんじゃねぇよ」
「じゃあ・・・・・」
は色々考えを巡らせていたが、ふと大変な事を思い出し、途端にパニックになった。
「あっ!あ、あの!え、っと、ここまで連れてきてくれたのって・・・桃城?」
「あ、あぁ」
桃城は急にバツが悪くなったかのように顔をそらした。
そんな桃城を見て、抱き上げて連れてきてくれたんだろうと悟った。
(あのすごく安心する温もりは桃城だったんだ・・・)
急にカァッと体中の血が沸騰したかのように熱くなり、慌てて布団を被って顔を埋める。そしてそろそろと顔を出して桃城を伺う。
「・・・重かったでしょ」
「どこがだよ?全然!お前ちゃんと食ってんのかよっ?軽すぎだぜ!!」
「嘘・・・」
「嘘言ってどうするよ?俺は嘘が嫌いってのお前もよく知ってるだろ?」
そう。桃城は何より曲がった事が大嫌いな真っ直ぐな男だ。今時そんな熱血漢も珍しいと周りにからかわれていたのも良く覚えている。それでも何を言われようと『俺は俺だ!』と胸を張っている桃城がとても眩しかった。
「とにかくお前陸上部なんだし、運動するならしっかり食えよな!もたねーぞっ!ただでさえあんなハードな練習してるんだから」
「・・・うん」
つられて返事をしただったが、ふと疑問が沸いた。テニス部のコートと陸上部のグラウンドはかなり離れている。テニスコートから見えるはずはなかった。
「・・・あれ?陸上部の練習見た事あるの?」
まさかそんな質問が来るとは思っていなかった桃城は、目が泳ぎ、明らかに動揺を隠すかのように大声になった。
「えっ!?あ!いや!ほら!その、俺、部長によく『グラウンド20周!!』って言われるからさ、その時に、なっ!うん、そうだよ!」
なんだか妙に歯切れの悪い物言いに、桃城らしくないと思ったが、深く追求しなかった。いや普段のなら追及したかもしれないが、それよりも何より、急に体中の痛みが酷くなり、思考がまとまらなかったのだ。
ちょうどその時、今まで席をはずしていた保険医が戻って来て、閉じてあった間仕切りのカーテンを開けて顔を出した。
「あら、さん。気が付いたようね。どうかしら調子は?」
「はい、今急にまたあちこち痛いですけど、なんとか大丈夫です」
「そう、そろそろ鎮痛剤が切れる頃だからもう一度飲んでね。頭は打ってないみたいだけれど打ち身はなかなか治らないから、明日から当分大人しくしていることね」
「・・・はい」
そう言うと保険医は鎮痛剤と水の入ったコップを「はい」とに手渡した。言われた通りに飲み干す。
「あ、そうそう!それと桃城君に感謝しなさいね!彼ものすごい形相で保健室に飛び込んできたのよ〜!『が大変なんですっ!!』って!あなたにも見せてあげたかったわ〜!」
「せ、先生っ!!!」
きゃらきゃらと笑って保険医は出て行った。「後よろしくね〜」という無責任な言葉と、その場で顔を真っ赤にして固まってしまった桃城とを残して。
「あ、あのさぁ・・・聞いてもいいか?」
どのくらい固まった後だろう。桃城が話を切り出した。
「う、うん。・・・何?」
一体何を聞かれるのかと内心ドキドキだったが、桃城の真剣な眼差しにただならぬ物を感じて素直に頷いた。
「俺、お前をここに連れてくる途中、聞こえた気がしたんだ」
「?何が?」
「俺の聞き間違いとか空耳だったらすごくバカみたいなんだけどよ。でも・・・」
そう言ったきりまた黙ってしまった桃城を見て、ハッと思い出す。確かあの時自分は、あまりの息苦しさと痛みからこのまま死ぬんじゃないかなんてバカな事を考えていた。そしてこのまま死ぬのならせめて・・・と・・・。確か・・・・・
その言葉を聞かれてしまったのだとは気付いた。そして桃城は今まさにその事を聞いてきているのだと理解した。
(どうしよう!こんな形で伝わるなんて!)
今まで朝の恒例になりつつあった自転車レース。これに勝って、自分で自分を奮い立たせて、思い切って告白しようというつもりでいた。そんな負けられない理由が、今崩れて行く。
こんな状況で告白なんて想像外だったからどうしていいのかまったく分からず、ただ顔を真っ赤にさせる事しか出来なかった。
そんなを優しい目で見つめながら桃城は話し出した。
「俺な、朝の勝負、どうしてもお前に負けられなかったんだよ」
突然何が言いたいのだろう?と、まるで理解できないという顔のに苦笑しつつ、そのまま続ける。
「今日でさ、何回目の勝負だったと思う?」
投げかけられた質問。それは朝の自転車レースの事に違いないが、には答えられなかった。とにかく勝つ事。それしか頭になかったから、回数など数えていなかった。
「・・・ゴメン。分からない」
申し訳なさそうに謝る。
「いいんだよ!謝らなくったって。これは俺が勝手に決心してた事なんだしよ」
と、コリコリと大きな右手で頭をかきながら、が大好きな眩しい笑顔で答えた。そして次の桃城のセリフには絶句する事になる。
「今日でちょうど100回。今日俺が勝てば100戦全勝だったんだよ」
呆然。そんなに毎朝勝負していただろうか・・・冷静に考えたら凄い数字だった。でもなんで桃城は数えていたのだろうか。その疑問の答えも、もちろんちゃんと用意されていた。
「100回お前に勝ったら・・・言おうと思ってたんだ。つーか、情けない話、そんなきっかけでもなきゃ言い出せなかったんだ。・・・お前が・・・が好きだって事を」
頭がクラクラする。これは夢だろうか。桃城が、今、自分を好きだと言った。こんな都合のいい夢があるんだろうか。実は頭を打っていて、病院のベットで目が覚めず昏睡状態なのかもしれない。だからきっと夢だ。うん、そうに決まっている。
でも確かに彼はそう言った。そして私を名前で呼んでいた。普段の彼は私を名前でなど呼んだ事はなかった。そういえば、ここまで連れてこられる時にもそう呼んでいたような気がしていたが、間違いではなかったんだ。でも・・・
あれこれと考えて1人で妙な方向へ完結してしまいそうなの上に、ふと影が落ちた。
そして感じたあの心地よい温もり・・・
何が起こったのか理解するまでは数秒を要した。ベットに寝たままの状態のは桃城に抱きしめられていた。
桃城の囁く様な声が耳元で聞こえる。
「お前が自転車で転んで地面に叩き付けられた時、心臓が止まるかと思ったぜ。真っ白な顔でさ、このまま目を覚まさないんじゃないかって、本気でそう思った。本当に、心配したんだ・・・」
を抱きしめる桃城の腕に力がこもる。
「そしたら、なんで勝負になんかこだわっていたんだろうって後悔した。もっと早く伝えておけばよかったってな」
次々に聞こえてくる信じられない言葉の数々。は自分の理性がパンクしそうなのを認識した。これ以上何か言われたら、きっと私は壊れてしまう・・・そうなる前に自分で少しでも言葉にして伝えておかないと・・・。そう決心をした。
桃城は抱きしめた腕を緩めてくれない。にとってかなり恥ずかしい体勢ではあるが、とにかく早く伝えなければならないと、深呼吸して気持ちを落ち着けようとした。と言っても、この体勢では焼け石に水だったが。
「わ、私ね、私も・・・桃城が好き」
ピクッとかすかに桃城が反応する。でも相変わらず離そうとはしない。
「私、絶対勝とうと思ってたの。最初は、去年の部活対抗リレーで負けた悔しさをぶつけてるつもりだった。でも、そんなのどうでもよくなって、気が付いたら・・・好きになってた。・・・でも今更そんな気持ちをどう伝えればいいのか分からなくなって。だったら桃城に勝ってケリを着けようと思ったの・・・どんな結果であれ、勝って勇気を出して、告白しようって・・・」
桃城がようやく顔を上げた。を上から覗き込む。その桃城の視線は熱く、真っ直ぐ受け止めるのが苦しいくらいだった。
「俺達、お互いに負けられなかったんだな。同じ理由で」
そう言うと嬉しそうに優しく笑う。その顔はも今まで一度も見た事がない笑顔だった。
(こんな顔で笑ってくれるんだ・・・それも今私だけに・・・)
の目から涙が溢れた。
「うわわっ!おぃ、泣くなよ!!」
焦る桃城の姿を見て、なんだか無性に愛おしさを感じたが、それでも涙は次々と溢れてきて止まってくれそうもなかった。
「あ〜もう!頼むぜっ!泣かないでくれ!泣き顔なんかみたくねぇよ!俺、お前の笑ってる顔が好きなんだぜ?」
泣きながらどうにかは答えた。
「どうしてこういう時にそういう嬉しいセリフを言うのよ・・・余計涙が止まらないよ・・・」
涙を流しながら本当に嬉しそうに笑うを見て、桃城は自分の体温が2度ばかり上昇したのを感じた。桃城もまたのこんな笑顔を見た事がなかった。それは本当に透き通るような綺麗な微笑。
(・・・こんな所で妙な気分になっちゃあいけねぇよな、いけねぇよ・・・)
そう必死に自分に言い聞かせている桃城の内心など微塵も気付いていないは、相変わらず涙に濡れた瞳で笑いながら桃城を見つめている。
それが余計に煽っている事になるとも気付かず・・・
ふと、桃城はいつもの、それでいて何かをたくらんでいるいたずらっ子のような笑顔でニッと笑うと、
「止めてやるよ。涙」
そう言った。
は最初何が起こったか把握できなかった。
目の前にあった桃城の顔が近づいてきたと思った瞬間、重ねられた唇。触れ合っていたのはほんの一瞬。
(キスされてる?!)
と思った時には離れていてた。だが、いつまでも熱を持っているかのように熱い自分の唇に戸惑っていた。
「・・・止まったろ?」
そう言って、少し照れくさそうに笑う桃城。にいたっては熟れきったトマトのように真っ赤になって、何か言い返えそうとしているらしいが、ただ口をパクパクさせるだけだった。
桃城は、そんなを見て、内心ホッとする自分に気が付いていた。想いが通じた嬉しさはもちろんあったが、とにかくが無事で(正確な意味では無事ではなかったが)本当に良かったという気持ちが溢れている。
無事だったからこそ、こうしてお互いの気持ちを伝えあえられたし、キスなんかも出来た訳で・・・
の唇の感触を鮮明に思い出してしまい、自分がした事に今更ながらに赤面してしまう桃城がいた。
それを振り切るかのようにわざと大きな声を出す。
「さぁ!そろそろ帰るぞ!!」
そう言って桃城はベットから飛び降りた。その桃城のセリフに、本日何度目か分からない驚きを覚えた。
「え?授業は?」
そののセリフに、今度は桃城が目を丸くし、そして笑う。
「な〜に言ってんだよ。もう夕方だぜ?」
「えぇっ?!」
は1日中気を失っていたようだ。・・・そしてには、そんな事実よりも気になった事があった。
「・・・桃城。ひょっとしてずっと・・・」
桃城の背中に向って問いかけた。聞こえているのかいないのか、桃城は返事をしなかった。
その沈黙は肯定としては受け止めた。心が温かくなる。本当に人を好きになる事は素敵だと、改めて思った。そしてその相手が桃城であるからこそ・・・
「あ!桃城!部活は?!」
「あぁっ!ヤベェッ!!!」
2人は暫し顔を見交わして、笑った。
「「ま、たまには・・・な(ね)」」
レギュラーが練習しているコートを見渡し、視線はそのままに疑問を口にする部長手塚。
「桃城はどうした?」
側にいて練習メニューの打ち合わせをしていた大石はすぐに答える。
「あぁ、桃なら今日は休みだよ」
「理由は聞いているのか?」
「それが・・・」
何故か苦笑する大石に、疑問が深まり、視線を向ける。
「実は・・・不二がそう言うだけで、俺も詳しく知らないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
手塚は眉間にシワを寄せた。
翌朝、朝練の時間中、グラウンドをひたすら走る桃城の姿が目撃される。
そして同じく、青学名物と化していた朝の自転車レースがピタリとなくなり、その代わり、嬉しそうに笑い合いながら風を切っていく1台の自転車が目撃されるようになる。
(いつまでもずっとこの背中を見つめながら走っていたい・・・)
願いは形を変えて叶えられた。負けられない2つの理由が消えた時に。
言い訳部屋行く?