秋晴れの日曜日。
手を後頭部のあたりで組んで、ふと空を見上げる。
空が高い。どこまでも続く青。

(つき抜ける空の青さって、こういう事をいうのかにゃ〜?)

などとしみじみ思ったが、不二あたりに聞かれたら「熱でもあるの?」と言われそうだ。
思わず、実際に言われた気になって憮然としてしまい、1人苦笑いを浮かべつつ、視線を前に戻し、通りを眺めていた。

久々のオフの日。駅前で大石とテニスシューズを見に行く為に待ち合わせをしていた。
と言ってもそれは目的の半分であって、肝心なのはそのもう半分の方であった。

行楽日和とあって、駅前は遠出をするらしい家族連れやカップルで賑わっていた。
「駅前で」というアバウトな約束はいつもの事だったが、さすがに今日は混雑している。

(大石分かるかにゃ〜?)

そう思いつつも、動体視力にはちょっと自信がある菊丸。

(ま、大石が分かんなくっても俺の方が見つけるもんねぇ〜!)

と、キョロキョロとあたりを見回していた。

すると遠くの人ゴミの中、見え隠れする独特な髪型。見間違えるはずもない。ゴールデンペアと言われる相棒を。

「お〜い!お〜〜いし〜〜〜!」

と大きく手を振ったが気付いていないらしい。もう一度呼ぼうとした時、大石が一人ではない事に気付き、その相手が見えた瞬間、絶句してしまう。

(・・・大石と一緒にいるのって・・・ちゃん??)

結局そのまま声をかける事が出来ず、ただ2人を見ていた。
大石と一緒にいるのは見間違えるはずもない菊丸の想い人。

(なんで?なんでちゃんと一緒なんだよ?)

その問いに答えるものはいなかった。










視線の行方  〜前編










始まりは半年程前のある日に遡る。部活前の放課後、体育館へ急ぐ菊丸の姿があった。
いつもノートを借りている同じクラスの不二が、珍しく風邪で休んだので(鬼の霍乱と思ったのは内緒だ)代わりにバスケ部の友人に貸してもらう約束をしていたのだ。相変わらずの身軽さでヒョイヒョイと体育館の階段を駆け上がっていた。
体育館は2階建てで、1階は柔道場や剣道場などになっている。バスケやバレーなどは2階のフロアだ。
軽快に階段を登っていた菊丸の耳に、ふと聞きなれない音が飛び込んできて思わず足を止めた。

(なんだろ?)

1階のフロアの窓が開いていたので、好奇心に勝てずに階段の隙間からちょっと覗いて見た。
体操部の練習場所らしく、マットや平均台などが見えた。

(でもさっきの音は?)

と、疑問に思ったのも束の間。視線の先をレオタードに身を包んだ1人の少女が走って行った。そして踏み切り板を思いっきり踏んだかと思うと、見事にくるりと宙返りをして平均台の上に飛びのった。

(あ、踏み切り板の音か!)

しかしそう認識したのは一瞬の事。すでに思考は別の方へ向っていた。
平均台と言う狭い足場で実に軽やかに、ステップを踏んでいる少女。その踊るような鮮やかな動きに目を奪われる。離せなくなる。
そのままフラフラと吸い寄せられるかのように階段を降り、フロアの入り口までやってきた菊丸に気付きもせず、その少女は相変わらず真剣な表情で演技をしていた。

菊丸はさっきから煩いほどの自分の心臓に戸惑っていた。
アクロバティックプレイヤーを自他共に認めているだけあって、そういう動きには負けない自信もある。でももし自分が彼女と同じ事をしてもここまで人を引き付ける事が出来るだろうか。
女の子ならではの華やかさ。しなやかさ。体のライン。自分には決してないものを持っている彼女。

(・・・真剣な表情も綺麗だけど、笑った顔が見てみたいにゃ・・・)

そんな事を考えながらボ〜っと突っ立っていたら、また何度目かの宙返りをして着地に成功し、演技が終わったらしい彼女が気が付いた。

「えっ?!あ、あの・・・・・菊丸君?」

そこにいるはずもない人物がすぐ側にいたのでビックリしたのか、窺うように声をかけられ、ハッと我に返った。

「あ、え?!ゴ、ゴメンッ!!練習の邪魔しちった!!」

バツが悪そうに、にゃはは〜と笑って誤魔化す。

(ん?あれ?そういえば・・・・・)

「俺の事知ってるの?」

自分の有名さは多少自覚しているものの、そう問わずにはいられなかった。
こんな綺麗な子を知らなかった悔しさと、その子が自分を知っているという嬉しさを隠して。

「え?―――う、うん」

それだけ答えるのがやっとと言う風に顔を真っ赤にして下を向いてしまった。

(うわわっ!か、かわいいっ!!)

演技中の真剣な顔とはまた違ったあどけなさの残る表情にギャップを感じ、しかしそれがまた更に菊丸の心臓が主張するのに一役買った。

「同じ3年だよね?あ、あのさ、良かったら名前教えてくれにゃい?」

急にそんな事言ったからか、ビックリしたままの顔で固まってしまっている。

「いや、その・・・無理にとは言わないけど・・・さ?」

(もし教えてくれなくっても絶対調べちゃうもんね〜!)

なんて思っている事がばれない様に、ワザとちょっと寂しそうに言ってみる。
すると申し訳なく思ったのか、それでも相変わらず下を向いて真っ赤な顔をしたまま、どうにか聞こえるくらいの声で返事が返ってきた。

・・・

それが出会い。
その時は部活の時間も迫っていたので「ほんじゃまったね〜〜!」などと言ってすぐ別れた。

(もう少し時間があったらもっと話せたのに〜!)

そう思わなくもなかったが、とりあえず手塚の怖い顔を思い出し、ノートを借りるという当初の目的も忘れて、コートへ跳んで帰ったのだった。




1から12組まであるというのに、下駄箱でクラスを調べるという何ともベタな事をした菊丸だったが、その労力は半分ほどで報われた。なんと隣のクラス。
なんで今まで気付かなかったんだろうと不思議に思っていたが、その理由はすぐに分かった。
彼女、は、菊丸とすれ違う時、必ず下を向いている。まったくと言っていい程顔を見ようとしない・・・。
菊丸に気が付く前は、確かに顔を上げて、真っ直ぐ前を向いているにもかかわらずに、だ。
思い切って声をかけても、挨拶は返してくれるが、ほんの一瞬視線が合うだけですぐ下を向いて逸らしてしまう。

そんな事が何日も続いて、元気が取り柄の菊丸もさすがに落ち込んでいた。
クラスのムードメーカー的存在の菊丸がしょげかえっているのはいい迷惑だと、周りのクラスメートに何とかしろと頼まれたのはもちろん不二だった。

「英二、一体どうしたのさ」

相変わらず自分の机の上に突っ伏したままの菊丸は、どんよりした空気を纏ったまま、顔を上げるどころか返事すらしない。
不二は前の席の椅子に腰をかけ菊丸に向き合うと、おもむろに頭にゲンコツを落とした。

いっっっって〜〜〜〜〜〜!!!にゃにすんだよ不二〜〜〜〜!!!

本気で痛かったのだろう。涙目になって不二を睨みつける。

「いい加減鬱陶しいから僕がわざわざ話を聞いてあげようとしてるのに、何かなその態度は?」

セリフはこの上なく容赦ないものなのに相変わらずの笑顔。
菊丸は不二の背後に言いようのないオーラを感じて引きつった。そしてこうなった不二に逆らう事など出来ようはずもなく、覚悟を決めて相談する事にした。

「・・・隣のクラスにさ、さんっているじゃん。知ってる?」

不二はちょっと目を見開いて菊丸の顔をマジマジと見た。そしてクスッと笑う。

「なんだ。やっぱり恋煩いか」
「に゛ゃっ!?や、やっぱりって、なんで分かるんだよっ!?」

言い当てられて自ら墓穴を掘った事にも気付かず、真っ赤になって焦る菊丸。
そんな菊丸をよそに不二は話を続ける。

「で、さんと何かあったの?」

う゛〜〜〜。と、ひとつ悔しそうに唸って、真っ赤な顔のままこれまでの経緯を一通り話す。
彼女との出会い。そして決して自分の顔を見てくれない事等など。

「俺、嫌われてるのかにゃぁ・・・・・・」

菊丸に耳とヒゲがあったとしたら、きっと、ペタンと塞がって、シュンと垂れ下がっていた事だろう。
そんな菊丸をじっと見ていた不二は、いかにも呆れつつ溜息をついた。

「あ、なんだよぉ〜〜!溜息つきたいのは俺の方だってのっ!!」
「・・・つきたくもなるよ。英二って意外に鈍かったんだね」
「にゃ?どういう意味?」
「悪いけど、結果が見えてる事に助言する程僕は甘くないよ?」

そう言って、男テニレギュラーなら背筋がゾクッとする、女子なら黄色い声をあげるであろう笑顔を残し、そのまま席を立って行ってしまった。

「うぅ・・・自分から聞いてきた癖に〜〜〜!なんなんだよ一体!!」






それからも何度か挨拶は交わすものの相変わらず菊丸を見ようとはしない
そんな調子で何も踏み出せないまま時間だけが過ぎて行き、季節は秋を迎えていた。
いつもの菊丸なら、相手の迷惑も考えずガンガン行く所だが、何故かに対しては思い切った行動を起こせないでいた。
考えてみたら隣のクラスというだけで何の接点もない事に気付く。そしての事を部活以外何も知らない自分にも。

ちゃん、去年何組だったんだろ?)

テニス部の誰かがもし同じクラスだったら何か情報が聞けるかもしれない。自分の気持ちがばれるかも知れないけれど、このまんまじゃ何にも変わらないと、決心をする。

「よぉ〜〜〜っし!!」

気合を1つ入れて遅ればせながら情報収集に乗り出す事にした菊丸。

「やっぱアイツしかいにゃいっ!」

白羽の矢が立ったのは同じテニス部の乾貞治。
彼がいつも持ち歩いている怪しいノートはテニス以外のデータもかなり揃っているらしいと巷では噂になっていた。

「あ、いたいた!乾〜〜〜!」

11組のドアの前でその後姿に呼びかける。呼ばれた乾は振り返り菊丸の姿を認めるとすぐにこちらに来た。

「珍しいな。菊丸が俺に用事とは」
「にゃはは〜。ちょ〜〜っと――」
「俺のデータを当てにしている確立100パーセント」

菊丸のセリフを遮って、そう言った乾の眼鏡がキラリと光る。

「うにゃ・・・・・な、なんで・・・・・?」

いやな汗が背中を流れた。こういう時の乾はすべて見透かしているようで、菊丸はちょっと苦手だった。

「何、簡単な事だよ。この3年間一度も俺を訪ねて来た事などなかった菊丸がわざわざ来たという事は、俺にしか出来ない何かを頼もうとしている。教科書等を貸してくれって言う事はまずありえない。そういう場合は真っ先に大石の所に行くはずだからな。そうなると必然的に答えは出ている。違うか?」

ぐうの音も出ないとはまさにこの事だろう。菊丸はただただ頷くしかなかった。

「で?何が聞きたいんだい?」

その言葉にようやく我に返って、ひとつ深呼吸してストレートに質問を投げかけた。

「7組のちゃんって、2年の時何組だったか分かる?」