そう、今日大石と待ち合わせた本当の目的は、について知っている事を少しでも聞き出す為。は去年大石と同じクラスだった。
それだけを乾から聞くのに、交換条件を飲まなければならなかったが。
何度も訪ねた事があったはずの大石のクラス。その時も気付かなかったのは、きっと今と同じく下を向いてこっちを見てくれていなかったからだろう・・・。そう容易に推測出来た。
まだ2人は菊丸の視線に気付いていない。
(元クラスメートだから、会えば話くらいはするだろうけど。・・・でも・・・)
菊丸には決して向けられない顔。
まだ一度も見た事がなかったその表情。そしてずっと見たいと願っていた表情・・・
それは、今、大石に向けられていた。チクンと胸に突き刺さる。
体が動いた。
一度も誰にもぶつかる事なく人ごみを通り抜けて、2人の元へ一気に駆け寄る。
「あ、英二!遅くなってごめん」
「え?菊丸君?」
2人は同時に菊丸に気付き、同時に声をあげる。ただはまたすぐ下を向いてしまった。
そのの様子だと、大石が菊丸と待ち合わせていた事は知らなかったらしい。
「大石ゴメンっ!買い物はまた今度にしてっ!!」
そう言うや否や、の手をつかんで走り出した。
「きゃっ!ちょっ、き、菊丸君?!」
有無を言わさずそのまま加速する。
「お、おい!英二っ!」
後ろで大石の声が聞こえたが振り向かない。とにかく菊丸はただ走り続けた。自分の中の抑えきれない気持ちをもてあましつつ。
視線の行方 〜後編
「き―――き、くまる・・・くん・・・お、おねが、い・・・」
どれくらい走ったのか、気が付けば駅前からかなり離れた高台の公園に来ていた。
の息が上がった声で我に返って足を止めた。
「あ―――」
すぐ側でしんどそうに肩で息をしているがいた。額にはうっすら汗さえ浮かんでいる。
「ゴ、ゴメン。俺・・・・・」
慌てて繋いでいた手を離す。右手が秋の風に晒されて急に冷たくなる。
は離された手を膝について下を向いて呼吸を整えていたのだが、いつまでも顔を上げてくれないのは、やはり嫌われているからではないか、と、どうしてもそう考えてしまう菊丸がいた。
その時。
「ふぅ!こんなに全力疾走したの久し振りっ!」
はやっと顔をあげた。走って火照った顔のまま真っ直ぐ菊丸を見て、楽しそうに笑ったのだった。
菊丸の心臓が早鐘を打っている。これはさっき走ったせいではない。あれ程望んでいた見たかった笑顔。そして初めて真っ直ぐに向けられる視線。
「―――俺、ちゃんが好きだよ」
実に素直に出てきた言葉に菊丸自身戸惑った。の視線が自分に向けられている。笑顔を見せてくれている。それだけでこんなに勇気が出るんだとビックリした。
そして菊丸とは違う意味でビックリしている。あまりに突然の告白、そして、向けられている熱い視線に戸惑って、また下を向いてしまう。
せっかく合った視線を逸らされてしまった事に寂しさを感じたが、菊丸はそれでもなお言葉を繋げる。
「・・・ちゃん、いつも、俺の顔、全然見ようとしてくれなかっただろ?それがずっと気になっててさ・・・・・。なんでだろう?俺ってそんなに嫌われてるのかな?・・・って思ったんだけど、それでも俺―――」
「ち、違うっ!そんな事ないっ!!」
思いもかけない菊丸のセリフに急に声を荒げて顔を上げたかと思うと、真っ赤になって首を振る。
「違うのっ!そ、そうじゃないの!!わ、私―――ずっと前から、き、菊丸君の事・・・・・す、好きだったの・・・」
最後は本当に消え入りそうな声だったが、菊丸には確かにハッキリと聞こえた。
「えぇっ?!う、嘘っ?!」
は耳まで真っ赤になっている。そんな様子で嘘をついているとは思えなかったが、そう問わずにはいられなかった。ずっと嫌われていると思い込んでいたから当然と言えば当然だったが。
『英二って意外に鈍かったんだね』
いつかの不二の言葉を思い出す。
「じゃ、じゃあさ!全然俺の顔見なかったのって、ひょっとして――――」
「・・・・・・・・・・・」
は答えなかったが、その顔を見れば『ただ恥ずかしかっただけ』・・・明らかにそう物語っていた。
急転直下。さっきまでの悩みは嘘のように消えてしまった。そうなるともう何も抑える事はないとばかりに菊丸は行動に出た。
「キャッ!き、菊丸君?!」
は菊丸の腕の中にいた。細そうに見えてそこはやはり男。無駄のない引き締まった筋肉のついた腕は、苦しいくらいに力を込めて抱きしめてくる。菊丸の跳ねている髪の毛が首筋に当たってくすぐったい。
「俺・・・俺今めっちゃ嬉しい・・・・・」
「菊丸君・・・」
の肩に顔を埋めてそのままいつまでも離そうとしない菊丸。ドキドキと煩い心臓を叱咤しながら、がもう一度声をかけようとした瞬間、パッと体が離れたかと思ったら目の前が暗くなった。
「へへ〜〜!ごちそうさまっ!」
目の前でニカッと笑う菊丸の顔。は何が起こったのか把握出来ていなかった。
ただ分かっている事は、今自分の顔が真っ赤で、でもそれがとても嬉しく、暖かく、もっと触れていたいと思う感情だけ。
「俺、ず〜〜〜〜〜っと我慢してきたから、これからはもう遠慮しにゃいからねっ!覚悟してろよ〜〜!」
心底嬉しそうな眩しい笑顔で笑う菊丸。は気恥ずかしさから、まともにその笑顔を見れなくてまた下を向きそうになった。
「あ〜〜!ダメダメダメダメ〜〜〜!!これからはもう絶〜〜〜〜っ対に下向いちゃダメだかんねっ!!!」
「だ、だって・・・」
「あ!いい事思いついた〜〜〜!これからは下向くたびにキスしちゃうからね〜〜!」
「え、えぇっ!?」
菊丸は、これ以上赤くなれないというくらい真っ赤になったの耳元に顔を近づけて囁いた。
「これからはずっと俺だけを見ててよ。笑顔でさ」
「そういえばさぁ、大石とにゃに話してたの?楽しそうにさぁ〜〜?」
行きとは違って、今度はゆっくりと歩きながら手を繋いでいる帰り道。
ちょっと膨れっ面で、明らかに妬いてますと全身で表している菊丸を見て、嬉しさを感じた。
自分のせいで誤解を招いたけれど、無事に誤解は溶け、しかも菊丸と両想いになれた。こんな嬉しい事はなかった。ふと、思わず笑みがこぼれる。
「あ!にゃんだよ〜〜!隠し事はダメだぞっ!!」
そう言うと大きな目を更に大きくしての顔を覗きこむ。
は、自分を見てくれているその視線が嬉しいのに痛くって、ずっと逸らしてきたのだ。そうしないと気持ちが溢れそうで怖かったから。
でも今は受け止めたいと素直に思っていた。もちろんまだ恥ずかしいけれど、その視線も大好きだから。その視線の先に自分がいるのが、何よりも嬉しいから。
「大石くんには偶然会って、ちょっと相談にのってもらっただけだよ?」
「え?!相談ってにゃに?」
「・・・・・・・・・内緒」
途端にサッと菊丸の顔色が変わる。
「え〜〜〜!!隠し事はダメだってば〜〜っ!!」
「もうすぐ分かるから。ねっ?」
「ダメダメ〜〜!今知りたいのっ!!」
駄々っ子のようにいつまでも諦めそうもない菊丸。そんな様子を見て、少し困った顔で考える仕草をした後、は思い切ってちょっと背のびをした。
「・・・・っ!」
さっきとはまた見事に正反対の顔色になった菊丸に、も同じ顔色で笑いかける。
「今までもずっと見てたんだから・・・・・これからもずっと見てるよ?・・・エージくんの事。だから、信じて?本当にもうすぐ分かるから」
そう言って赤い顔のままふわりと笑ったは、本当に綺麗な笑顔。
菊丸がずっと見たかった笑顔は今すぐ手の届く所にある。
(・・・まいったにゃぁ・・・・・)
先手必勝。ペースは自分が握ったと思っていた菊丸。
しかし先程のからの掠めるようなキスと、初めて名前を呼んでくれた事だけで、どうしようもなく心を乱されている自分がいた。そして、なにやら隠し事をしているなんてもうどうでもよくなっていた。
(俺、かなり重症だにゃ・・・)
それから数日後。
放課後のテニスコートで、この上ない喜びの声をあげに抱きつく菊丸がいた。
すぐさま「グラウンド20周!」「そのあと約束の新作乾汁ね」の声が飛んだ。
「ほいほいっとね!それっくらい、へのかっぱ〜〜〜〜!」
真っ赤になったをその場に残して飛ぶようにグラウンドへ向う菊丸。
それでもは、その場を離れなかった。
嬉しそうに。
いとおしそうに。
自分の視線の先にいる大好きな存在を心に焼き付けるかのように見つめていた。
菊丸はそんなの視線に気付いて、そして同じように優しくを見つめる。
絡み合う視線。
真っ赤になって恥ずかしそうに笑っているが、もう決して逸らされる事のない視線。
グラウンドを走るスピードが上がる。そのまま空まで飛んで行ってしまいそうな勢いだった。今の菊丸には怖いものなど何もなかった。
そんな菊丸を見ていた人物は、以外にもいた。
「ふむ。普段の平均タイムより1周30秒も速い。菊丸はが絡むといつも以上の力を発揮する・・・と。これからいいデータがとれるな」
「・・・・・・・・・・・」
「ま、まぁ、悪い事じゃないじゃないか。これで英二の調子が上がるなら」
「今度は別の意味で鬱陶しくなりそうだね」
「ふ、不二・・・。そんな言い方しなくっても・・・」
「エージ先輩羨ましいよなぁ・・・羨ましいぜ・・・」
「///(フシュ〜〜〜〜)」
「・・・まだまだだね」
本日11月28日。快晴。
から一瞬たりとも視線を離さまいと、ずっと見つめたまま器用にグラウンドを走る菊丸は、最高の誕生日を迎えた。
言い訳部屋行く?