「・・・・・・あれ?」
暗い意識の底から目を覚ますと、そこには見覚えのない天井。身体に感じる柔らかい感触。は、どうやら自分は寝ているらしいとおぼろげながらに認識した。
少し首を動かしてみると、枕元に家から持って出たカバンが置いてあるのが分かり、少しホッとした。
(・・・ここ、どこだろう。いやそれより私・・・どうしたんだっけ・・・?)
こうやって考えを巡らせる事が出来るから少しは熱も下がったのだと分かる。でも考えてみても分からない事だらけだった。
「ほあら〜〜〜」
「え?」
急にベットに重みを感じたと思ったら、ふと目の前に表れた動物。タヌキみたいな・・・猫。
「・・・・・・カルピン?」
「ほあら〜」
特徴ある泣き声。1度見たら忘れられない顔。カルピンはまるで返事をしたかのように首を傾げてを見ていた。
レギュラー陣と共に1度訪れた事のあるリョーマの家。その時カルピンは何故かを気に入って、リョーマが呼んでも決して側を離れようとはしなかった。
「飼い主に似るっていうのは、何も犬だけじゃないんだね」
その光景をしっかり目を開いて見ていた不二がそう言ったが、その真意が分からずは頭に疑問符を浮かべていただけだった。
anniversary 〜R.Echizen 後編
不二曰く飼い主に似ているというカルピンは、今もゴロゴロと咽喉を鳴らしてすり寄って来た。がそれに答えるように咽喉元をなでると、実に気持ち良さそうに目を細める。
も嬉しくなって暫くそうしていたが、ふと現実を思い出した。
「・・・あれ?・・・カルピンがいるって事は・・・・・・えぇっ!?ひょっとしてここって―――」
「俺ん家」
「きゃあっ!!」
自分の独り言に突然答えが返ってきて、は驚きのあまり飛び起きた。
部屋のドア付近に不機嫌そうな顔で立っているのは紛れもなくカルピンの飼い主、リョーマだった。
「え、あ、ど、な・・・」
は状況が把握できずに混乱する頭でリョーマに説明を求めようとしたが、その混乱振りは出てきた言葉に見事に表されていた。
「・・・え?あれ?どうして?なんで?・・・これであってる?」
そう言ってニヤリと不敵に笑ってみせたリョーマに、少しムッとしつつも真っ赤になって言い返した。
「わ、わ、分かってるなら説明してよぉ〜〜〜!」
はベットに身体を起こしたまま、答えを待つようにじっとリョーマを見つめた。
いつもならありえない上目遣いの視線。まだ熱があるからか瞳は潤んでいて、その視線は熱かった。
リョーマは今まで以上に自分の中の溢れそうな想いを感じて戸惑い、ふと視線を逸らしつつ答えた。
「・・・先輩が道端に蹲ってるのを俺の従姉が見かけたんスよ。そのまま放っておける訳ないし、家が近かったから連れて来たんス」
「そ、そうだったんだ・・・ごめんなさい、迷惑かけて」
「・・・・・・」
リョーマが黙り込んでしまったのが呆れて怒っているからだと思ったは、ただ俯くしか出来なかった。
「ねぇ。なんで熱があって学校休んでるのに、制服着てあんな所にいたんスか?」
「え、それは―――」
「まさか、誰かにチョコ渡す為とか・・・言わないっスよね?」
「・・・・・・」
あまりにも図星で何も答える事が出来なかったを、リョーマはチラリと見て深い溜息をついた。
「・・・ったく。もっと自分の身体の事考えたら?」
「だ、だって・・・」
「道端で行き倒れるなんて迷惑以外の何者でもないっスよ」
「い、行き倒れって・・・」
「行き倒れじゃないっスか。それとも―――そうまでして特別に渡したい相手がいたんスか?」
の頬は更にカッと赤みが増した。リョーマはあまりにも隠し事の出来ないを、少し恨みたくなった。
「・・・フーン。いるんだ。そういう相手が」
そう言ってフッと表情を曇らせたと思った途端に、いつものふてぶてしいくらいの生意気さがなりを潜めた。
「・・・・・・リ、リョーマ・・くん?」
何故リョーマが大人しくなってしまったのか分からず、は戸惑った。そして次の瞬間更に戸惑う事になった。
今までドアに背を預けるようにして立っていたリョーマが、何故か目の前にいる。
そしてその肩越しに、目が覚めた時に見た見慣れない天井。
背中に感じる柔らかな感触。
どうやらベットに押し倒されたらしい、と認識するのに数秒を要した。
認識すると同時に体温の上昇も感じ、自分でも頬が赤いと分かるくらいの熱に戸惑いつつも、は訊ねずにはいられなかった。
「ち、ちょ、ちょっと!リ、リョーマくん?!い、一体何―――」
「誰?」
「え、え?」
「誰なんスか?」
「な、何が?」
訪ねているのは自分のはずなのに、その答えは一向に返そうとしないリョーマ。
はドキドキとうるさい心臓の音が聞こえないだろうかと思いながらも、リョーマの真剣な、どこか切なそうな視線が気になった。
「ね、ねぇ、リョーマく―――」
「好きだ・・・・・・俺、先輩の事が、好きだ」
「!?」
思ってもみなかった突然の告白に、はただただ目を丸くするしか出来なかった。
生意気で、我侭で、手がかかって、「弟がいたらこんな感じかな」と思った事もあった。
でもそう思っていたはずの後輩を、気が付けばいつも目で追っていた。
―――それはいつからだったろう。
今思えば、リョーマが手塚から青学の柱を託されたあの日からかもしれない。
それ以降のリョーマは明らかにどこか違っていた。
にはそんなリョーマの変化を上手く言葉にする事は出来なかったが、手塚からテニスに対する熱い想いも確かに受け取ったのだと分かったのは、ぐっと深みの増した強い意思を感じる瞳から確かに伝わってきた。
そんなリョーマを、弟としてでもなく、ただの後輩としてでもなく、1人の異性として見ていると自覚したのは、やはり2月14日だった。
偶然見てしまった現場。
可愛らしい女の子から告白と共に受け取っていたチョコレート。
(・・・あの子は確か、リョーマくんのクラスメート・・・)
以前から時々テニスコートをこっそり伺っていた子だった。には決して叶わない、リョーマと同じ時間を共有する事の出来る子。
からはリョーマの背中しか見えなかったから、その時リョーマがどんな表情をしていたかまでは分からない。
ツキンと感じた胸の傷みに戸惑いつつ、それ以上見ていられなくてその場から逃げ出したから、リョーマの返事も分からない。
ただそれ以降、その子がテニスコート付近に現れなくなった。それがリョーマの返事だったんだと悟るしかなかった。
学年が違うと、同じ学校とはいえ滅多に会う事はない。
が学校で確実にリョーマに会えるのは、部活の時間だけ。そしてそれがが知っているリョーマのすべて。
どんな顔で授業を受けているとか、当てられてどんな声で答えているとか、何気ない日常の一コマを・・・知らない。
たった1つの歳の差を、こんな時に実感する。そして息苦しくなる。
―――いつの間にこんなに惹かれていたんだろう。
は、今まで見た事がない、熱を帯びた真剣な眼差しでじっと見つめてくるリョーマを見つめ返しながら、そんな事を思い出していた。
そう、今の状況をすっかり失念して。
「・・・どうしてこの状況でそんな呆けていられるんスか。そんなに危機感なかったらどうなっても知らないっスよ?」
そう言ってリョーマはそのままに覆いかぶさってきた。これにはさすがのも我に返って暴れた。
「・・・え?・・・えぇ?!あ、きゃ!い、いや、その・・・ね?と、とにかく離れて!」
「ヤダ」
「や、ヤダじゃなくって!!」
「答えてくれるまでこのままっスよ?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
少しも緩めない腕、耳元で聞こえる声と熱い吐息に、心臓はさっきから悲鳴をあげんばかりに高鳴りっぱなしだった。
「・・・俺、まだ手塚部長には負けてる・・・と思う」
「?」
はこの体勢に恥ずかしさを覚えながらも、突然弱々しいくらいの声で話しだしたリョーマに、少し前にチラリと見せたあの大人しそうな、寂しそうな表情が重なって、黙って続きを待った。
「不二先輩にだって・・・ちゃんと勝負してないけれど・・・勝てるかどうか分からない」
「リョー・・・?」
「でも!俺絶対強くなるから!絶対強くなって、誰よりも強くなって・・・先輩を連れて世界に行く。約束する」
「?!」
「だから・・・お願いだから、まだ、誰のものにもならないでよ・・・。俺にもチャンスがあるって・・・思わせてよ・・・」
お互い顔は見えないが、どちらのものかも分からない心地よいくらいの体温と鼓動に包まれて、暫し時間を忘れていた。
どれくらいの時間が流れただろうか。その沈黙を破ったのはの方だった。
「・・・・・・・・クッ・・・」
「・・・?」
腕の中で、不思議な声をだしたを怪訝に思って、リョーマが少し身体を起こして覗き込むと、は涙を流しながら声を殺して笑っていた。
「なっ?!な、なんで笑いながら泣いてるんスか?!」
「あ、え、ご、ごめんなさい、だ、だって・・・」
そう謝りながらも笑いが止まる様子のないに、リョーマは身体を起こすと今朝の菊丸並みにガックリとうなだれてベットサイドに座りこんだ。
「・・・・・・人の告白をなんだと思ってるんスか・・・・・・」
(・・・いくら鈍いとはいえ、この状況でまさか本気に思われてないとか?・・・それとも何か笑われるような事、俺言ったっけ?)
リョーマが色々考えつつ深く溜息をついたと同時に、背中に温もりを感じてハッと顔を上げた。
後ろから回される腕は紛れもなくのもので。
「ごめんね」
「・・・・・・それは何に対して謝ってるんスか?」
「笑った事に対して」
「・・・なんで笑ってたんスか?」
「・・・リョーマくんが自分で自分にヤキモチ焼いてたから可笑しくって」
「・・・え?」
(・・・自分にヤキモチを焼いた?それって―――)
リョーマはに言われた言葉の意味を反復して考えていたが、その答えをはずっと前から用意していた。
リョーマの首に回していた腕をそっと解くと、枕元に置いてあったカバンの中から綺麗にラッピングしてあるものを取り出し、持ったまま再び抱きつく。ちょうどリョーマの目の前に差し出すように。
「特別に渡したいのは・・・リョーマくん・・・だよ?」
「っ?!」
自分でも耳まで赤くなったのが分かる。今の自分の顔を見られなくて良かったとリョーマは心底思った。
「・・・俺、1人で先走ってたんスね・・・カッコ悪・・・」
「ううん、カッコ良かったよ」
「変な慰めはいいっス」
「ホントだってば!・・・ホントは私から言うつもりだったのに、先越されちゃったな」
「・・・・・・」
「・・・ね?もう1つ、約束してくれる?」
「・・・何スか?」
「世界に行く前に・・・今年も必ず私を全国へ連れて行くって」
「・・・当たり前っスよ。先輩達がいなくったって、絶対連れて行く」
「フフッ。さっきあんな弱気なセリフ言ってたのに」
「っ?!あ、あれはっ!!」
慌てて身体を捩って振り返ったリョーマを、今度は正面から抱きしめた。
「う・そ!」
「・・・先輩って案外意地悪っスね」
「・・・幻滅した?」
「イヤ・・・だって俺の方がもっと意地悪っスから」
「え―――――っ?!」
意識が戻ってから何度見たか分からない天井が見える。
そしての好きな、ちょっと生意気な、不敵な笑顔。逸らす事なく真っ直ぐ見つめてくる瞳。
「もう誰にも遠慮なんかしないっスよ」
そう一言言い残して近づいた顔。唇に触れた温もり。
は最初こそ驚いたが、恥ずかしさと一緒に込み上げてくる暖かな感情にまかせるように、そっと瞳を閉じた。
「今までだって、遠慮らしい遠慮してないじゃない」なんて思ってみても、結局そんな所も大好きで。
これまで色んな顔を見せてくれたけど、今日初めて見た、あの寂しそうな、それでいて真剣な顔が1番身近に感じたのは、私だけに見せてくれた顔だと思うから。
あの表情と共に告げられた言葉を絶対に忘れない。
―――は目蓋の裏に焼きついてはなれない顔に、そっと誓った。
暫くして今更ながらにこの状況に照れを覚えたは、落ちつかなげに視線を彷徨わせて、自分の格好に気がついた。
「あれ?ねぇ、リョーマくん」
「何?」
「・・・私、制服着てたんだけど・・・コレ・・・」
「あぁ、それ従姉の」
「奈々子さんの?」
「そう」
「・・・・・・誰が着替えさせてくれたの?」
なんとなく疑いの視線を感じてリョーマは少々ムッとしつつ答えた。
「・・・期待に添えなくて悪いけど、俺じゃないっスよ」
「だ、誰が期待なんてっ!!」
赤くなって頬を膨らませたはとても幼く見える。
リョーマは、こうやってをからかっている時が1番年の歳の差を感じないと思っていた。だから、ついつい意地の悪い事ばかり言ってしまう。
(・・・俺、こういう所が子どもっぽいのかな・・・)
素直に1年の差を認めて甘えるのもたまにはいい。でもやはり、肝心な所は主導権を握りたい。
(・・・結局我侭なんだよね。ま、それが俺―――だよね)
そんな結論に達し、上目遣いで返事を待っているを見てニヤリと笑った。
「奈々子さんだよ。・・・いくらなんでも寝込みを襲うような真似しないっス。襲うなら堂々と―――イテッ!」
しっかり反撃にあって叩かれた頭をさすりながらを見る。
相変わらず真っ赤になったままの愛しい彼女。誰にも渡さずに済んだ大切な彼女。
リョーマはそんな悪態をつきながらも、内心、心底ホッとしていた。
あの手ごわいライバル達を見事蹴散らす事に成功したのだから、当然と言えば当然だったが。
「あ、そ、それと!奈々子さんが・・・お家まで運んでくれた訳じゃない、よね?」
「・・・・・・・・・」
突然不機嫌な顔になったリョーマがふぃと視線を逸らしたので、は頭に疑問符を浮かべた。
「?あ、あれ?」
「とにかく着替えたら?家まで送ってくから」
「え?あ、う、うん・・・?」
明らかに話題を逸らされ、は気になってじっとリョーマを見つめていたが、その視線を頬に感じたリョーマが、これ以上の追求を先手を打って断った。
「何?着替えるの手伝って欲しい?」
「っ?!結構ですっ!!着替えるから出て行ってっ!!」
「・・・ここ俺ん家・・・」
リョーマは飛んできたクッションを避けながら客間からでると、言いたくない答えを上手く交わす事ができた安堵の溜息を1つついて居間に向かった。
自分がその場にいなかった事をこれほど悔やんだ事はない。
何故ならを運んだのは―――。
「よう青少年!彼女はお目覚めか?」
「・・・・・・」
を運んだ人物は、縁側に寝転んで読んでいた新聞から顔を上げて、ニヤニヤしながらリョーマを見た。
先程とは異なった心情から出る溜息を大きくついて、ジロリとその人物を一瞥してから少し離れたダイニングの椅子に座り、何とはなしに置いてあったテニス雑誌をパラパラとめくる。
そんなリョーマの心情を知ってか知らずか、その人物―――リョーマの父親である南次郎は、一方的に話し出した。
「いやぁ〜〜ホントビックリしたぜ?電話で奈々子ちゃんに呼ばれて飛んで行ったら、あの子倒れてるんだもんなぁ〜〜〜」
リョーマの肩がピクリと動いたが、背中を向けている南次郎は気付かなかった。
「前に1度お前の部活のヤツらが揃って遊びに来た事あっただろ?可愛い子は1度見たら忘れらんないからな〜!それでバッチリ顔覚えてたんだよ。だからすぐお前に連絡するよう奈々子ちゃんに言って家に運んだんだぜ?感謝しろよ〜〜!」
何の返事もない息子をチラリと肩越しに返り見て、先刻リョーマがをからかった時にした表情とよく似た笑顔を浮かべて言った。
「それにしてもあの子、着痩せするタイプだな〜〜!細いけど出るとこ出てて実に抱き心地が――――グォエッ!!!?」
さっきまでリョーマが見ていたテニス雑誌は、綺麗に宙を舞って見事南次郎の後頭部にヒットした。
雑誌の角が当たったらしく目に涙を浮かべて頭をさすりながら、南次郎は起き上がってリョーマに向き直った。
「おぃこらリョーマ!!お前親父様に向かって――――」
「オヤジ」
「な、なんだよ!」
歳の割にはクールな息子。その息子から発せられる何ともいえないオーラに思わず口ごもったが、それでも父親としてのなけなしの威厳を総動員して返事をした。
「とりあえず感謝してるけど・・・それ以上言ったら、泣かす」
「・・・・・・・・・」
そう言って席を立ち居間を出ていくリョーマの背中を見て暫く呆然としていた南次郎だったが、不意にクックッと小さな笑い声を漏らした。
「・・・テニス以外で熱くなれるものを、やっと手に入れたみたいだな、リョーマ。・・・でも、俺に対して妬いてるようじゃ、まだまだだねぇ」
そう言って大きく伸びをすると「娘が出来る日」を思い浮かべつつ、父親の顔になって嬉しそうに目を細めた。
言い訳部屋行く?