「俺を怒らせたいん?」
普段から何を考えているか分かりにくい、レンズ越しの底の見えない瞳。
今その瞳は、にもはっきりと感じ取れるくらいに怒気を漂わせていた。
どちらかといえば温厚で、滅多に本気を見せず飄々とした感じの彼がここまで怒ったのを見た事がなかったは、思わずゴクリと唾を飲み下した。
「フン。好きなようにとれよ」
そんな怒りの篭った視線を涼しい顔でさらっと受け止めているのは、氷帝学園でその存在を知らぬ人のいない跡部景吾その人。
2人のやり取りに、部室の気温が急激に下がったように感じたのは気のせいではないだろう。
そしてそんな2人に挟まれるようにして立っているは、何か言いたくてもとてもじゃないが口にする事が出来ずにいた。
こんな風に怒らせたかった訳ではない。
は、今更ながら跡部の提案にのった事を後悔していた。
Call a name.
「・・・はぁ」
「・・・・・・」
「う〜〜〜。・・・はぁ〜〜〜〜」
「・・・おい!!」
「うわぁ!!・・・って、なんだ跡部か」
「・・・随分な態度じゃねーの、あ〜ん?」
先程から目の前でやたらと溜息をついて何か悩んでいますと言わんばかりなのに、それがわざとではないから立ちが悪い。
何のかかわりもない人物が溜息をついていても微塵も気に留めたりしない跡部だが、はクラスメイト兼男子テニス部マネージャー。付き合いも長く、跡部にとって何もかも曝け出す事の出来る唯一の異性だった。
一見冷たそうに見えるダークブルーの瞳は、跡部自身が心を開いたものに向けられる時は、とても柔らかなものになる。もちろん怒っている時などは誰彼構う事無く容赦ないくらい冷たいが。
そして、そんな跡部を知っている数少ない1人であるは、その整った顔にチラリと視線を送っただけで、再び溜息をついていた。
「・・・んで?どうしたいんだテメーは」
「ふぇ?」
「辛気臭せー顔して溜息ついてたってどうしようもねーだろ。話してみろよ」
「跡部・・・」
「ま、概ね検討はついてるけどな」
「ムッ」
「俺様を誰だと思っている」と言いたげにフンと鼻を鳴らされ、は上目遣いにひと睨みした。
それでも話を聞いてくれるというのはありがたい。渡りに船だとばかりには飛びついた。
後に相談した相手が悪かったと思い知る事になるとも知らずに。
「・・・もうすぐ誕生日でしょ?」
「フッ、そうか。やっと俺様のものになる決心が着いたのか」
「違います」
「即答かよ」
「当然でしょ?」
「フン。・・・それで?」
「今年も沢山貰うんだろうな〜〜って思ってさ」
「まぁ俺様の足元にも及ばないけどな」
「・・・いちいち上げ足取らないでよ」
「いいからさっさと続き話せよ」
誰が散々話の腰を折ったのか。
は再びムッとしたが、いつものぶっきらぼうな口調の中に優しさを感じ取って苦笑した。
本来跡部は面倒な事に巻き込まれるのは好きではない。それでもこうして話を聞いてくれる。そう思うとやはり嬉しくて、跡部の視線に促されるようにポツポツと話し出した。
「・・・毎年の事なんだけどさ、誰から渡されても笑顔で受け取るし。『持って帰られへんわ。困ったなぁ〜〜』って笑いながら言っても全然困ってるように聞こえないんだもん。困るなら最初っから受け取らなきゃいいのに・・・。それに色々貰ってるみたいだから、何あげたらいいのかもうさっぱり分からないし。・・・今年はあげるのやめようかなぁ・・・」
泣きそうだと思った次の瞬間には拗ねながら怒ったり、ふいに真面目な顔になったり。
1人で百面相をしているの様子を、跡部はただじっと見つめていた。
要するには妬いているのだ。もうすぐ誕生日を迎える彼氏、関西弁伊達眼鏡男、忍足侑士に。
マネージャーとしては、公私混同しないよう(忍足はそんなもの気にも留めていなかったが)あくまでも常に一線を引いたような付き合いだし、部活という枠から一歩外に出れば、あからさまに敵意剥き出しの視線をその細い身体一身に受けて、忍足と少しでも釣り合ういい女であろうと意識して努力している。
(ホント見ていて飽きねぇよな、コイツは。容姿も性格も悪くない。マネージャーとしても合格点。・・・ただ唯一の欠点は、男を見る目がないって所だな。俺様の方が何倍もいい男だってのによ)
跡部がそんな事を考えているとは微塵も気付いていないは、「どう思う?」と上目遣いに問いかけた。
彼氏である忍足に今の話を、今の気持ちを、ぶつければいいものを。
あらゆる物事を整然と受け止め器用にこなす癖に、色恋沙汰にはとんと不器用な上に鈍感で天邪鬼。
そんなの不安に揺れた視線を受け止めていた跡部は、不意に思い浮かんだ悪戯に端正な口元をゆがめて笑った。
「今のあいつにぴったりのプレゼントがあるが、一口のるか?」
「え?何?そんなのあるの?」
あげるのをやめようかと言っていただったが、むろんそれは本音ではない。彼氏の1年に1度の誕生日なのだから。・・・もちろんそんな本音はしっかり跡部に見抜かれていたが。
思いがけない跡部の台詞には驚いて目を丸くし、次に期待に胸を膨らませた。どんなプレゼントがあると言うのだろう。純粋にそう思っていた。
「な〜侑士〜」
「ん?なんや岳人」
「ってさぁ、なんで俺らの事名前で呼ばねぇのか知ってる?随分付き合い長げぇのによ〜」
朝練に向かう途中で偶然一緒になった向日は、頭の後ろで両手を組んで歩きながら、足元にあった小石をヨッという掛け声と共に蹴飛ばした。
仲がいい男友達でもが名前を呼ばないのは、テニス部員なら周知の事実。曰く『軽々しく呼べない』との事らしい。
あのジローでさえ「芥川くん」だ。にとって名前とは何か特別な想いがある言葉らしい。
忍足は、唐突にそんな質問を投げかけてきたダブルスのパートナーである向日の顔をまじまじと見た。
「なんやねん突然。どないしたん?」
「いや、今更だけどちょっと気になってさ」
「そーか。・・・そういや、お前らには詳しい事言ってへんもんなぁ」
「って事はやっぱ侑士は知ってるのか?」
「まぁな。でも俺も最近やっと聞き出したんやで?・・・そやな、岳人には特別に教えたるわ」
少し肌寒くなった朝の空気は日に日に街路樹の色を変え、秋が深まっていく事を感じさせる。
忍足はスウッと朝露の匂いを含んだ空気を胸いっぱい吸い込み、ふと目を閉じた。
が、少し照れくさそうに頬染めながら、それでもまっすぐ自分を見つめながら教えてくれた理由。
その時の情景と共に正確に脳裏に思い描く為に・・・。
「・・・名前って、この世に生まれてきて一番最初に親から貰うプレゼントなんや。今まで親や色んな人にぎょーさんプレゼント貰うてきたけど、そんなプレゼントは結局一時的に使うもんやろ?・・・名前は違う。一生使い続けていくもんや。気に入らへんからって、変えられるもんとちゃう。そやから親も一生懸命考えて、色んな想いを込めて、これや!と思う名前をプレゼントしてくれたんや。そんな気持ちの篭った大切な名前を、軽々しく呼ばれへん。・・・とまぁ、そういう理由や」
一息に話し終え右隣を見ると、なんと答えたらいいのか分からないといった風の向日を見て、思わず苦笑した。
「・・・・・・って、今時珍しいくらい真面目なヤツだよな」
「ほんまになぁ。・・・でもそれ聞いた時、柄にもなく感動したわ。それまで自分の名前の事なんて、深く考えた事あらへんかったし。・・・なんか、むっちゃ嬉しかったんよ」
「ヘヘッ、俺もちょっと感動しちまったぜ。そんなが名前で呼ぶのが侑士だけだもんな〜。クソクソ!羨ましいぜ!!」
「はは、おおきに」
忍足は嬉しそうに目を細め、レンズ越しの空を見上げた。
名前を呼ばれるのは嫌いじゃない。それが好きな相手なら尚更。
少し恥ずかしそうに、それでもとても嬉しそうな笑顔で、その一言に思いを込めて呼んでくれる愛しい人―――。
(・・・ほんま、思っとった以上に愛されとるんやなぁ俺)
これまで不安に駆られてあれこれ労していた策もバカバカしく思え、1人苦笑して幸せに浸っていた時、
「うん、そうだよな!やっぱ聞き間違いだよなっ!まさかがあの跡部の事を名前で呼ぶはずねーもんな!」
向日のまたしても突然の台詞に、忍足は今までの幸せ思考に大きなひびが入った音を確かに聞いた。
「・・・・・・なんやて?」
「・・・え?」
「今なんて言うた?」
普段から低音の声だが、更に地の底を這うような、搾り出すような低い声で問いかけてくる忍足に気おされながら、向日は内心まずい事言ったと自分を罵っていた。
「・・・が・・・跡部の事名前で呼んだ・・・」
「い、いや!でも聞き間違いだって!な!?」
「・・・・・・そ、そやな。そないな訳あらへん。・・・そんなん、この耳で聞くまで信じへん」
忍足は自分自身に言い聞かせながら、ちょうどたどり着いた部室のドアを開けた。
何人かと無意識に挨拶を交わしながらロッカールームへ行き、いつも一番に目に飛び込んで来る人物に急ぎ足で駆け寄った。
「」
「あ、侑士!おはよう!」
「・・・あ、おはようさん」
「それから・・・誕生日おめでとう!」
「・・・あぁ・・・おおきに」
どこかボンヤリとした返事に引っ掛かりを覚えたは、マジマジと忍足の顔を見つめた。
「・・・どうかしたの?何か変だよ?」
「ん?そうか?」
「うん。・・・何かあった?」
「いや―――」
「」
なんでもない。
そう言おうとした言葉は、ピンと良く響く張りのある声に遮られた。
「あ、おはよう・・・・・・景吾」
は背中越しに掛けられた声に振り返りつつ返事をしたので、忍足からはの表情は分からなかった。
でも今確かにの口から聞きなれない言葉を―――名前を、耳にした。
そしてどう考えてもそれは自分の名前ではなく、その名前の人物の視線は、を通り越してまっすぐにこちらに向けられていた。・・・不敵な笑顔と共に。
「今日のメニューは?」
「・・・もう。部長なんだからもう少し把握しておいてよ」
「お前が把握してれば何も問題はねぇよ。頼りにしてるんだぜ?」
「はいはい」
いつもの会話。普段と何ら変わりない、いつもの朝の会話だ。
でもさっき確かに聞こえた言葉が、確実に忍足の身体の自由を奪っていた。
(・・・こんなに動揺しとるんか?俺が。・・・ただが、俺以外の男の名前を―――呼んだだけやのに)
かすかに震える手に力を入れて拳を作る。それでも震えは止まらなかった。
そのまま何も言えずただ黙って2人を見ていた忍足だったが、再び向けられた明らかに挑発的な跡部の視線に、辛うじて繋がっていた理性の糸が切れた。
「・・・跡部」
「・・・なんだよ」
「俺を怒らせたいん?」
自分の発言と態度でが戸惑っているのは忍足にも充分伝わってきたが、引く気は毛頭もなかった。
売られた喧嘩は買う。ましてやそれがの事なら尚更。
「フン。好きなようにとれよ」
跡部は困惑の表情を浮かべたままのの腕を掴み強引に引き寄せ、口の端で笑いながら「で?もしそうだったら?」と、を抱きしめながらロッカーに寄りかかった。
急に2人分の体重を預けられたロッカーが不平を鳴らす。
「っ!?あ、跡部!!」
「おぃおぃ照れんなよ。・・・景吾だろ?」
「っ・・・け、景・・・吾、は、離―――」
「おい忍足、聞いての通りだぜ。お前があちこちの女にいい顔してるから、も愛想尽かしたんだろうぜ。俺と付き合う気になったってよ」
「!?」
は慌てて腕の中から跡部を見上げたが、黙っていろと力強い瞳で止められて何も言えなかった。
「忍足の前で俺の名前を呼べ」
「え?」
「お前が誰かの名前を呼ぶのは特別だろ?アイツきっと今までにないくらい動揺するだろうよ」
「そ、それがどうしてプレゼントになるのよ」
「なるさ。人は何かを失った時、初めてその大きさ、大切さを痛感するんだからな。失う時なんて実際にシミュレーション出来るもんじゃねぇ。それが出来るんだ。お前がどれだけ自分にとって大切か、嫌と言うほど身に沁みて心から感謝するだろうよ」
は跡部の考えに呆気にとられ、そしてなんとも複雑な表情を浮かべた。
それはそうだろう。実際跡部と協力して忍足を騙そうと言うのだから。しかも誕生日の日に。
それに―――
「で、でも!それで『分かった別れよう』とか言われたらどうするのよっ!」
「あ〜ん?そんな訳ねーだろ」
「何で分かるのよっ!!」
「何でってお前―――」
「アイツがお前を手放す訳ねーだろ」
面倒くさそうにを見やってそう言おうと思った跡部は、思わずその台詞を飲み込んだ。
はキッとこちらを睨みながらも目に涙を浮かべていて、その一滴が今にも零れ落ちそうだったから。
(・・・チッ。そんなにアイツがいいのかよ)
思いがけずも忍足を失う時のシミュレーションしてしまったようで、そして跡部自信も改めて2人の絆の深さを思い知る事になったようで、苦笑した。
(損な役回りだぜ、まったく)
それでも跡部は、今にも泣きそうになりながらも必死に睨んでいるの頭にポンと右手を置いて、安心させるように笑った。
ほんの一部の人間しか見た事のない、穏やかな優しい瞳で。
「とにかく俺様の言うとおりにしてろ。悪いようにはしねぇ。・・・まぁちょうど明日は俺様の誕生日だし、明日からはずっと名前で呼べよ?」
「えぇっ!?な、何でそうなるのよ!」
「お前からのプレゼントがそれだけでいいって言ってるんだ」
「で、でも・・・」
「それともし本当に別れる事になっても安心しろ。俺様が責任とってちゃんと貰ってやるよ」
「なっ!?冗談じゃないわよっ!バカ〜〜〜〜〜〜!!」
「フッ、15日が楽しみだな」
「ちょ、ちょっと!聞いているの跡部?ねぇ!?ねぇってば!!」
そして忍足の誕生日、当日の朝―――は何故か跡部に抱き締められていた。
思いがけず閉じ込められた腕の中は、力強さとは裏腹にどこか優しくては戸惑った。そして落ち着かなかった。
忍足と何もかも違う腕の中―――匂いも、温もりも。
そう思ってはハッと我に返った。
自分は一体何をしているのか。しかも彼氏であるはずの忍足の目の前で、他の男に抱き締められているなど・・・。
(・・・侑士・・・何を考えてる?呆れてる?・・・・・・嫌われちゃったかな・・・)
しっかりと跡部に抱き留められているので顔を伺い見る事が出来ない分、の不安は否応なしに増していた。
怒っているのは雰囲気や口調で分かる。でもそれは何に対して怒っているのだろうか。
が泣きそうになりながらもあれこれ考えている時、不意に自分を包んでいた温もりが消え、それを疑問に思うまもなく先程とは逆の方向に引き寄せられ、バランスを崩した。
「きゃ―――――っ!?」
再び身体中を包む温もりを感じたが、今度はそれだけに止まらなかった。
勢いに任せるかのように重ねられた唇は、が驚いて目を開けるに充分の熱さを持っていた。
そして目の前には、レンズ越しにこちらを見つめてくる整った綺麗な顔が、時々意地悪く細められたりもするけれど、それでも大好きな瞳があった。
視線が絡むとフッと優しく目元が緩んだが、それも束の間。忍足は重ねた唇を離す事無く、上目遣いに跡部を挑むような視線で睨み据えた。
それから少ししてやっとを開放すると、肩で息をしているの頭をそっと撫でながら跡部に向き直った。
「・・・確かにが俺以外の名前呼んだんは焦ったわ。岳人に聞いただけでも驚いたのに、実際自分の耳で聞いたらめっちゃ衝撃やったし、正直、動揺した。手ぇなんか震えたわ。・・・けどな、悪いけど名前を呼んだだけじゃそないな判断できひん。・・・それに例えホンマにそうやったとしても―――は、だけは絶対に渡さへん。何があってもな」
忍足の腕の中で耳まで真っ赤になって固まっているは、さっきから自分の身に立て続けに起こった出来事に付いて行く事ができず、頭がパンクしそうになっていた。
何度目かの忍足の射抜くような視線を、相変わらず少しも意に介さずにサラリと受け流した跡部は、そんなを見やってフッと目を細め、いつもの笑みを漏らした。
「バーカ。それなら余計な策なんか巡らせてないでソイツに直接意思表示してやれよ。でないとその鈍い女は一生気付かないままだぜ?」
先程までの跡部の挑発的な瞳は鳴りを潜め、今はどこか自嘲的な色を浮かべているのに忍足は気が付いた。
はテニス部メンバーから多かれ少なかれ好意を寄せられている。それは跡部とて例外ではなかった。
(・・・跡部、お前―――)
跡部の素直ではない、でも跡部らしい応援の仕方に感謝の念が込み上げてくるのと同時に、すまないと思う気持ちもあった。
しかし謝るのは間違っている。第一そんな事跡部は望みはしないだろう。忍足は苦笑しつつ無造作に伸ばされた長めの前髪をかき上げた。
「・・・なんや、お見通しかいな」
「あ〜ん?当たり前だろ?俺様を誰だと思ってやがる」
「・・・・・・敵わんわホンマ」
「フン。相変わらず肝心な所で詰めが甘いな。そんなんじゃ横から掻っ攫われるぞ」
「あぁ。肝に銘じとくわ。・・・・・・おおきに」
忍足の思いがけない台詞に跡部はほんの一瞬面食らった顔をしたが、すぐにフンと鼻で笑い、いつもの不敵な顔に戻った。
「おい、それよりいい加減にソイツ離してやれ」
「あ」
はずっと忍足の腕の中で固まっていたが、跡部の優しさとはまた違う優しさ―――それはきっと、心を許しているからこそ得られる安堵感―――を感じ、少しずつ落ち着きを取り戻していて、頭上で交わされる2人の会話も耳に入っていた。
(・・・一体何の事?お見通しって何が?・・・もしかして、跡部の言った通りになった・・・の?でも・・・)
何故忍足が跡部に礼を言うのか分からずに、はただ頭に疑問符を浮かべるだけだった。
「・・・堪忍な?」
「・・・え?」
そっと小さな身体を離し少し距離を置いた忍足は、前屈みになってを覗き込んだ。
「今日からはもう誰からのプレゼントも受けとらへん。から貰えれば―――いや、が側におってくれたら・・・それだけで他に何もいらんわ」
の頬にまたカッと赤みが差す。何度甘い言葉を囁いても慣れない彼女。
そんな所がまた可愛らしくて再び抱きしめたくなる衝動に駆られたが、に優しく微笑みかける事でどうにかその感情を抑え、照れながらも相変わらず疑問符を飛ばしている彼女に苦笑した。
「・・・俺な、に妬いて貰いたかったんよ。俺が他の女の子の話とかしてもはどこか冷静で、軽く流すやろ?・・・情けないけど、結構不安やってん。俺が考えとったよりは俺の事好きやないんやないかって」
「え、な、何でそうなるのよっ!そんな、私の方がずっと―――!・・・ずっと不安だった。不安だったから、なんでもない振りをして、目を逸らしてた。・・・ずっと妬いてたよ。でもそんな事言って鬱陶しいって思われたら嫌だから・・・侑士が誰の話をしても気にしないように、頑張っていたんだもん」
お互いの思わぬ告白に、2人とも目を丸くして暫し見詰め合った。
「・・・なんや、俺ら2人とも素直やないなぁ」
「・・・そ、そうだね」
2人は同時に軽く吹き出すと、ひとしきりクスクスと笑いあった。
それは傍から見ていても、実に楽しそうに。―――幸せそうに。
「・・・なぁ、なんか俺らの存在まるっきり忘れられてね?」
「そ、そうですね・・・」
「・・・チッ、激ダサだな」
聞こえてきた声には再び我に返った。そう、ここは部室で・・・当然他の部員達がいる訳で・・・。
急激に恥ずかしさに襲われたは、思わず思い切り忍足を突き飛ばした。
「おわっ!?何すんねん〜」
「だ、だって!」
「今更照れんでもええやん。ついさっき皆の前でキ―――」
「きゃあぁ〜〜〜!それ以上言わないで〜〜〜〜!!」
はさっきの出来事を思い出したのか耳まで真っ赤になって、それを振り払おうとするかのように何度も頭を振っていた。
「ホンマ、照れ屋さんやなぁ」
そんなを見ながら忍足は本当に嬉しそうに笑っていた。
真っ赤になった頬を押さえてやっと落ち着いた時、は忍足に言わなければならない大切な事を思い出し、改めて向き直った。
「あ、侑士、私謝らないといけない事があるの。・・・あ、あのね、跡部の名前―――」
「あぁ見当ついとるよ。大方俺を挑発する為に言わされたんやろ?気にしてへんよ?」
「あ、や、それもそうなんだけど、実は―――」
「これからずっと名前で呼ぶ約束になってんだよ」
フン、と鼻を鳴らし口の端を軽く引き上げて笑った跡部は、それがどうしたと言わんばかりの態度だった。
「・・・ずっとやって?」
「あぁそうだ。・・・俺様も特別だとよ。まぁ当然だけどな」
「・・・?」
「あ、あのね!・・・それが誕生日プレゼントだって、言われて・・・」
申し訳なさそうに伏し目がちにそう答えたに、忍足は少し複雑な顔をしながら何か言おうとしたが、周りに遮られた。
「え〜〜!跡部ずる〜〜い!!俺も俺も!!俺も名前で呼んでほし〜〜〜!!ねっ!?いいよね!?」
「え?や、でも」
「ハイハイ!俺も〜!」
「え?」
「・・・・・・先輩、できれば俺の事も呼んで欲しいです・・・」
「え、えぇ?!」
我も我もとに群がって来たレギュラーメンバーに弾き飛ばされた忍足は、その光景を輪の外から見つめながら苦笑した。
(・・・・・・まぁしゃあないか。長い付き合いやし、今まであいつ等にそう言われへんかった事が奇跡みたいなもんやからなぁ)
そんな忍足に近づいて来た跡部は、同じように輪を眺めながめつつ問いかけた。
「多少は堪えたか?」
「・・・多少どころか、思い切りボディブロー食ろたわ」
「そりゃ良かった。・・・で、どんな気分だ?がテメェ以外の名前を口にするのは」
「・・・そりゃ、寂しない言うたら嘘になるなぁ。今までは俺だけの特権やったし。・・・けど、そやからってが俺から離れる訳やないし、それに―――」
「ゆ、侑士〜〜〜」
忍足は困った顔をして助けを求めるをいとおしげに見つめ、
「何があってもは俺のもんや」
そう言うと目を細めて意味深に笑い、跡部はそんな忍足を一瞥すると不機嫌をあらわにした。
「・・・テメェ抜け抜けと。・・・おぃ!忍足の許可が出たぞ、お前ら皆名前で呼んでもらえ」
「あ、跡―――け、景吾!何を勝手に―――」
「いや、。呼んでやって?」
「で、でも・・・」
「・・・俺な?に名前を呼んでもらうようになってから、自分の名前好きになったんや。それまで別になんとも思わへんかったし、どうでもよかったんやけど、に呼んでもらうとな?幸せな、暖ったかい気持ちになるんや。・・・きっと皆も、もっと自分の名前好きになれるて思う。そやから・・・皆にもそんな気持ち、分けたって?」
忍足にとってはライバル兼、苦楽を共にしてきたかけがえのない仲間。
そしてにとっても大切な仲間。そんな仲間が、自分が名前を呼ぶ事で少しでも喜んでくれるなら―――。
は照れくさそうに、それでも嬉しそうにふわりと笑うと小さく頷いた。
その笑顔にを取り囲むメンバーが赤面して固まったのは言うまでもなかった。
(・・・・・・別のライバル、増やしてもうたなぁ)
そんな事を考えていた忍足は、いつの間にか皆の輪を抜けて近づいてきたに気付くのが少し遅れた。
「!?」
確かにほんの一瞬頬に触れた柔らかい温もりに、思わず手をやって、やっと目の前のに気付いた。
「・・・ 、?」
「・・・私が一番気持ちを込めて呼ぶのは、今までもこれからも―――侑士1人だからね?」
すべての事へ感謝を。
この世に生をもたらしてくれた両親に。
生まれてきてくれた事に。
自分と出会ってくれた事に。
・・・そして自分を選んでくれた事に。
頬とはいえ初めてからされたキス。
そして頬を染めながらもまっすぐ目を見つめながら贈られた言葉に、忍足は柄にもなく赤面した。
(・・・・・・完敗や)
負けっぱなしは性に合わない。でも、こんな負けもたまにはいい。
忍足は堪らず再びを腕の中に閉じ込め息苦しいくらい込み上げてくる幸せを噛み締め、周りのメンバーに引き剥がされるまでを離そうとはしなかった。
―――忍足侑士のある誕生日のひとコマ。
10.15 Happy Birthday to Yushi!

言い訳部屋行く?