闇夜の黒。

降り注ぐ白。


は誘われるようにそっと、足を踏み出した。





The walk of night... Cherry blossom fall fluttering in the wind...





「ありがとうございました」

最後の客が出て行くのを見送って、はホッと息をついた。


バイト先の小さな喫茶店。
今日は夕方から貸切の小規模なパーティがあり、いつもより帰りが遅くなった。

しきりに恐縮する店主には笑顔を向け、手早く片付けを終えると、
「それじゃ、お疲れ様でした」
「今日は助かったよ。バイト料は弾んどくからね」
「期待してますよ〜」

悪戯っぽい笑みを浮かべ、ちょっと頭を下げると店の戸を押した。


「うーん、一杯働いたな〜」
「お疲れ様」
「っ――」

突然かけられた声に思わず肩をすくめる。
クスクス笑うその主に思いっきり覚えのあるは、そーっと振り返って片眉を上げた。

「不二先輩……脅かさないで下さいよ」
「ごめんごめん。そんなつもりは――」
「多少は、あったんですね?」
「良くお分かりで」
「フン、だ」

ぷい、と顔をそむけるに不二はまたちょっと笑った。

「ゴメンってば」
「べーっだ」
「じゃ、帰りに甘い物でもご馳走するから許してくれる?」
「私がいつもいつも甘い物でつられるとでも」
「思ってる」
「…………まあ、そうかもしれないですけどぉ」

が困ったような複雑そうな顔になる。
不二はその顔をみて、もう一度笑うと、

「ホントはね、迎えに来たんだ」
「私を?」
「そ。今日帰りが遅くなるかもって言ってたでしょ」


ついでに言うと。
が今日バイトで帰りが遅くなるという情報を仕入れた青学男テニレギュラー陣。

「俺が迎えに行く」 「いや、俺だ」 という声があがるのに対して時間はかからなかった。
ならば全員で迎えに行っては、という大石の平和的案もあっさり却下され、その後の話し合いでも収拾はつかず。

『一人でを迎えに行く権』 を壮絶な戦い――じゃんけん・くじ引き・コイン投げという実にオーソドックスな三本勝負――の末。
見事不二が勝ち取った、という裏話があったりする。

勿論、そんなことを全く悟らせることもなく、
「まあ、他に用事もあったんだけどね」
という実に何気ない一言で、押付けがましさを感じさせない不二は、さすがと言えるかもしれない。


「ありがとうございます。でも、こんな時間に用事、ですか?」
「これ」
そう言う不二の手にあったものは。

「……カメラ…」
「夜桜、撮ろうかと思ってね」
「夜桜ですか」
「もう桜の季節も終わりだからね、撮っておこうかなって」

これは本音だ。
ただ、もっと本音を言えば、レンズの向こうにがいてくれたら、と思ったのだ。

「いいポイントがあるんだよ」
「夜桜の?」
「そう。勿論昼間見ても綺麗だけどね」
「へえ…」

一緒にどう?という言葉が不二の口から出るのに、さほど時間はかからなかった。




そこは本当に素晴らしかった。


「わあ……!」

緩やかな風に乗る桜の花びらに手を伸ばしながら、が思わず声を上げる。
はらはらと舞い落ちる花は、夜の闇に映えて昼間とは全く違う雰囲気を感じさせた。


光の下で舞うそれは、可憐で愛らしい薄紅。
闇の下で舞うそれは、儚げで魅惑的な白。


全く違った装いを見せる桜の木はどこか妖しげで、美しい。

降り注ぐ桜に魅入られたように目を向けたまま、は微動だにしなかった。
その耳に届いたかすかな音に、はっと我に返る。

「いい絵だね」
「あ……」
「もう一枚、撮ってもいい?」
「――」

カメラ片手に不二が微笑む。
はそれに答えようとして――言葉が出なかった。

不二の上に降る花びらが、風と共に色素の薄いその髪を揺らしている。
肩にも服にも落ちたそれが、白く染まった一陣の風が、まるでその姿をかき消すように――。


ちゃん?」


だめ。


「…どうかした?」


連れて行かないで。


――」


私の前から。


「不二先輩!だめ!!」
「え…?」


消えてしまわないで――。




驚いた。

心底驚いて――不二は自分の胸に飛び込んできたをゆっくりと見下ろした。


、ちゃん?」
「だめです……」
「――何が?」
「どこかに行ったら……だめです…」
「――」

不二はちょっと不思議な目つきで見ていたが、手のカメラを上着のポケットにしまうと、優しくを抱きしめた。

「どこへも行かないよ」

君をおいて…行くわけがない。

「ここにいる」

君の側に――。

抱きしめた腕に力を入れて、の髪に顔を埋めた。


どれくらいの時間が過ぎたのか。
腕の中のが身動ぎして、不二はようやく顔を上げた。

「あの…不二先輩」
「何?」
「そろそろ、放して欲しいんですが」
「――そうは言っても、しがみついてきたのは君の方だよ」
「も、もう離してます」

ぱっと両手を上げて見せるをしばらく見ていたが――。
やがて不二はにっこり笑うと、
「どうしようかな」
と言った。

は赤くなったり青くなったりしながら、
「な、何でですか!」
「どうして僕がどこかに行くなんて思ったのか、まだ聞いてないし」
「それは…で、でもそれとこれとは関係ない――」
「どうして?」
「……言ったら絶対子供みたいだって笑う…」
「ど・う・し・て?」

からかうような口調とは別に、不二の目は優しい。
はそれでもまだ 「でも」 とか「後で…」 とか言っていたが、やがて諦めたように口を開いた。

「桜って…なんだかちょっと怖くって」
「怖い?」
「昼間だとそんなこと全然思わないんですけどね。でも、夜の桜ってなんていうか、こう――」
「怪しい雰囲気?」
「はぁ…よく聞くでしょう。桜にまつわるちょっと怖い話とか。そういうの思い出しちゃって」
「桜の木の下には――ってやつなんか有名だよね」
「言葉に出して言わないで下さいよ〜」

ぶるっと身を震わせるを見て不二はちょっと笑い、
「それだけ?」
「言っても呆れません?」
「約束する」
「…………だったんです」
「え?」
「不二先輩が……桜の中に立つ不二先輩が、その…すっごく綺麗だったから……なんて言うかその――神隠し、みたいな…」
「――――――は」
「あ!ほら、やっぱり呆れた!」

ぷう、と頬を膨らませるに不二は違う違うと首を振り。

「なんだ、僕と同じだったのか…」
「?何て言ったんですか?」
「いや、別に」

桜の花びらが舞う中。
手を伸ばしたのはだけではなかった。

ただ、一瞬の差。
もう少し、が動くのが遅ければ――。

きっと、抱きしめていたのは、自分だったに違いない。

薄紅色の風に攫われて……その姿が掻き消えてしまいそうで。
レンズ越しに思わず息を呑んだ。


どこかへ行ってはダメだと。
僕の側から離れてはダメだと。
消えてしまってはダメだと――そう言う前に。


「僕はどこへも行かないよ」

いつか、離れるかもしれないけれど。

「不二、先輩…?」

僕からこの手を放すことは、ない。

「放さない……」


――――――君の心が、僕以外に…捕われない限り。


抱きしめる腕に力が入るのが分かる。
が何か言いたげに身動きして、しかし、押し返そうとした手は力をなくし。

しばらく空をさまよわせた後、不二の服に付いた花びらをそっと払った。

不二はそれに微笑むと、
「ありがと」
と言って、の額にちょっと唇を付けた。

実にさり気なく、そしてあまりに一瞬だった為、は何をされたのかと目をぱちくりしていたが…。

「ふ、不二先輩!今――」

声を上げた時、不二はすでにから離れ、いつもの笑みを浮かべて言った。

「さ、そろそろ帰ろうか」
「え、あ――はい…って、不二先輩!」
「何?」
「何って……その…」
「約束通り、どこかで甘いものでも食べて帰ろうね」
「ハイ!――じゃなくて!」
「あれ、不満だった?」
「勿論嬉しいです。いや、だから、さっき――」
「良かった。実はいいお店を見つけたんだ…結構遅くまでやっててお勧めだよ」
「あ、ホントですか?楽しみ〜」

のらりくらりと、を煙に巻いてしまうと、不二はの髪に付いた花びらを払い落とした。
「あ、ありがとうございます」
「そのままにしておいても風情があって良かったかな」
それを聞いて、はちょっと笑った。

「じゃ、行こうか」
「はい」

言いながら差し出した不二の手を、がそっと握る。


その上に、一片の花びらが優しく舞い降りた。






=2004.7.Saya Kagei in Angel Master PRESENTS=











『Angel Master』様で実施されていた【桜の似合うキャラアンケート】で1位に輝いた不二君です!
フリーだったので速攻でしっかり頂戴して参りました!
うわぁ〜〜!不二君素敵だっ!やばい・・・かなり胸きゅん(笑(死語
ホント影井様の書かれるお話、大好きです〜〜!
また、yury様の書かれたイラストもUPしてますので是非合わせてご覧下さいませ!
本当に素敵な作品をありがとうございました!!